日本城巡り

岡山城

津山城 鬼ノ城
備中松山城 勝山城
備中高松城 岡山城
経山城

岡山県岡山市丸の内二丁目

《鳥城》

 天文元年頃
築城者・金光備前

平山城

岡山城は、鳥城と呼ばれる黒く塗りこめられた外壁と外観を持ち、四重に見える下層の長方形の

大屋根の上層に正方形の二層の楼閣をのせた特異な姿で、内部六階・塩蔵と呼ばれる二階建ての

櫓を付属し、ゆるやかな勾配を持ち、低い天守台の石垣の上に、いかにも黒縅の鎧武者がどっかと

腰をすえた如く、安定した姿を旭川の水に写していた。

岡山城の歴史は古く、現在市民会館や放送局のある本丸西側の二の丸附近の石山と呼ぶ

旭川河口のデルタ大島原の三丘陵の一つに、大永年間(1521〜27)当時、備前西部を制圧していた

守護代・松田氏に属していた名主層の金光備前が居城していたと伝える。


私見

登城日2006年07月17日  作成日2006年09月09日  編集日2006年09月10日

広島城から引き返してきて駐車場前に着いたが、ドシャブリの雨で車から降りれない状態だ。

登城をあきらめ、車内から『右上の写真』天守の写真を撮っていると、急激に雨が上がった?。

行けるのとちがう?。 またも、登城をあきらめかけた寸前に神様が雨を止めてくれた。

ガラ空きの駐車場に車を預け、傘をもっての登城開始。内下馬『目安』橋を渡り、大手口門を通り帯曲輪から

鉄門跡・〜不明門をくぐって天守曲輪に入ると目の前に先ほど車中から望遠で撮った天守が目の前にある。

感動の一瞬だ。黒漆塗り下見板張の壁面で仕上げられた重厚さあふれる外観を目の前にして立ち止まる。

黒い天守は、織田信長の安土城天主を模したといわれる。正面から天守に近づき、念願の天守に上れた。

昭和20年(1945)の空襲で焼失。昭和41に天守・不明門・廊下門等外観復元して現在の姿を披露している。

岡山には何度となく来ているが、岡山城はなぜか初めての登城で、広大な城郭の醍醐味を満喫させられた。

西手櫓・また壮麗な月見櫓ともに本丸の一二三段石垣の見事さは平山城の醍醐味を充分に味わって退城した。

昭和41年復興

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