田辺城
≪舞鶴城≫
京都府舞鶴市南田辺
築城者・細川藤孝
天正八年(1580)
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伊佐津川と高野川に挟まれた自然の要害地に築かれた舞鶴城は、本来田辺城と呼ばれ、細川幽斎
ゆかりの地としして有名である。幽斎『藤孝』は本能寺の変で親族でもある明智光秀に味方せず、
丹波『京都府』の領地を嫡男忠興に譲って、幽斎玄旨と称して隠居した。その幽斎は天正八年(1580)
丹波平定の功績で織田信長から丹波の地を与えられた。この時、忠興とともに宮津に本城を築き
田辺や峰山などに支城を築いた。
慶長五年(1600)徳川家康の会津征伐で、忠興は家康について関東に出向いた。その間に石田三成
らは近郊の諸将を集めて、丹波に攻め入った。留守を守る幽斎は、本城の宮津を捨てて天正十一年
(1581)自らの隠居城として築いたとされる田辺城へ、手勢五百余りを立て籠もらせた。大坂方の
一万五千余りの軍勢との五十日間にわたっての攻防に、幽斎はついに田辺城に釘付けとなって、
天下分け目の、関ヶ原の合戦には参加できなかった。
私見・登城日2003・11・02 作成日2004・02・15 編集日2006・03・18
田辺城は、舞鶴警察のまえにあり、正面に大手門が見え、打込みハギの石垣が迎えてくれる。
駐車場は、向かって左に100台は停めれそうな無料駐車場が完備されている。
城内に入ると、公園になっていて四季を通じて楽しめるように思えた。
昭和15年に建てられた模擬隅櫓が田辺城跡のシンボルになっている。
復興大手門
隅櫓の資料館
て・よ
駐車場 … 無料