勝龍寺城
京都府長岡京市勝竜寺
暦応二年(1339)
築城者・細川頼春
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戦国時代、松永久秀や三好三人衆が居城したところで、永禄十一年(1568)に織田信長に
攻められて落城。のち、信長の山城平定時の拠点ともなった。天正十一年(1582)
明智光秀が本能寺に信長を討った後は、当城を占拠して一拠点とした。しかし、山崎合戦
で光秀を攻めた秀吉は、当城に入って間もなく、その石材を淀築城に転用した。
寛永十年(1633)永井直清が入城して城を修築したが、慶安二年(1649)に高槻に移封と
なって、当城は廃城となった。
私見・登城日2002・09・07 作成日2002・09・18 編集日2006・03・18
登城当時は、最後の仕上げをしている時で、城郭・堀・土塀は完璧に復元され、城門の
仕上げをしている時だった。庭園は綺麗に整備され、細川忠興とがラシャの像が、
なんとなく寂しげに見えた。櫓跡・土塁と見るところは多いが、堀は、掘り返したと聞いたが
駐車場手前の堀は手をつけていないようにも見えたが。歴史上、波乱万丈の城である。
て
復興隅櫓
復興御殿
登城日2006年09月18日 作成日2006年09月21日 編集日2006年09月23日
私見
自宅を昼前に出発、1城目の勝龍寺城に来た。今回は三度目の登城だが四年前の登城の時は
城内の復興御殿が最後の仕上げ真っ最中だったが、今回は入館できた。
一階は休憩所で、二階は資料館になっている。細川藤孝や細川ガラシャの肖像がが飾っていた
遠目は風格のある御殿だが、入口が自動ドアとは虚しい感じがした。城内・土塁・堀・沼田丸と撮影して
早々に引き上げ、次の目的地二条城に向かう。
て・さ
細川忠興・ガラシャ像
搦手門から堀・土塁を見る