日本城巡り
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福知山城

復元天守

1986

033

京都府福知山市内記

天正七年(1579)

築城者・明智光秀


≪横山城≫

福知山盆地の西南に突き出た、一続きの細長い台地の末端に位置した福知山城は、東方に

由良川と士師川が外堀を形成し、他方は崖で、天然の要害には申し分なかった。しかし、

人工の城壁造りとする石の調達が思うようにいかなかったらしく、光秀は領内各地に石の

拠出を命じ、寺から墓石や供養等までかなり強引に運ばせた。

本能寺で信長を討った光秀だが、すぐ山崎の合戦で秀吉に敗れ、小栗栖において暗殺された

以後の丹波地方は、光秀に代わって秀吉の養子秀勝、次いで北の政所の叔父杉原家次が、

福知山城主として当地に入った。


私見・登城日2002・09・29  作成日2002・11・08  編集日2006・03・18

福知山城まで、自宅から1時間余りで来れた。大きな橋を渡り、ジグザグに上がって行く

登城道は、攻め方には不利に造られている。前方が見通せなく、石垣の上からの攻撃

前後を挟まれば身動きできない状態になる登城道は納得できる。

途中の石垣に、五輪塔・墓石と石と名のつく物は手当たりしだいに積んでいったように

見える。石垣の積み方は穴太積みで天守横に説明版があった。


福知山城天守

天守からの展望
福知山城 二条城 伏見城
勝龍寺城 田辺城
丹波亀山城 聚楽第

て・さ

私見

登城日平成十八年九月三十日  作成日2006年09月30日

朝7時30分に自宅を出発、余部鉄橋を見に行く。その帰り道に福知山城に寄った。

前回は昇龍橋から登城道に渡り登城したが、今回は昇龍橋が工事中で閉鎖。

仕方なく、昇龍橋の手前からの天守を望む。

て・よ

余部鉄橋

昇龍橋から天守を観る

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