日本城巡り

作成日 平成十八年(2006)九月十八日

聚楽第

京都市上京区中立売通裏門西南角


豊臣秀吉は、天正十四年(1586)

旧平安京大内裏跡地に聚楽第の

築城を開始した。

同時に諸大名の屋敷も周辺に集め

秀吉政権の京都における政庁として

工事が進められた。

この築城工事は、四国・東国の諸公家

や社寺から用材を撤廃して運搬させ、

天正十五年正月に完成している。

その頃秀吉は、伏見城の築城工事を

進めていたため、聚楽第を廃城として、

その多くの殿舎を伏見城などに移築させた。

現在、聚楽第の遺構と確信できるものは

一つもないが、ただ『井戸』と称させる遺構が存在する。

上京区松屋町通下長者町上ル東入ルに残る

聚楽の井戸である。この井戸は『聚楽図屏風に記された

『梅雨の井』の跡といわれている。正親(おおぎ)小学校

近くに『この附近聚楽第址』と記した大正四年(1915)の

碑が建つ。また同区裏門通の松林寺の表門と本堂との

落差がニbもあるのは聚楽第の外堀の跡といわれている。

登城日 平成十八年(2006)九月十八日

編集日 平成十八年(2006)九月二十二日

久し振りに城巡りを楽しんだ。昼前に自宅を出発、

息子と二人で勝龍寺城・二条城・聚楽第・伏見城

そして、本能寺と元本能寺跡を巡ってきた。

聚楽第の住所・上京区中立売通裏門西南角をメモり、その近くで地元の方に聞く。やはり地元の人は簡単に

その場所を教えてくれた。二つ目の信号を左折して、二つ目の信号を過ぎた附近がそうです、と教えて頂き

車を走らせる。だが、その附近ではわからず、そのまま進み、左折して路地に入り車一台ギリギリの道を進み、

200b程進んで左折する。偶然にも電柱に裏門の文字を発見!。近い!。そのまま進む、すると先ほどの道に

出てきた。交差点手前で車を止め、左角を見ると、聚楽第の碑を発見!見つけた!!。

でも、この交差点は先ほど通過した交差点で、見過ごしていたのだ。そんな事はどうでも良い、車を歩道に半分かけ、

カメラで撮影開始。良かった!。次は本能寺にチャレンジする!。今日も絶好調


     聚楽第址の中立売通りの反対側の駐車場の料金箱が空色。これが案外決め手になると思う。

中立売通から左に見える道路が裏門通 平成18年9月18日

拠付近聚楽第址の石碑 平成18年9月18日

≪聚楽城≫

天正十四年(1586)
  豊臣秀吉

5年前碑はこちらにあった

家屋が解体され更地になっている

平城

181

福知山城 二条城 伏見城
勝龍寺城 田辺城
丹波亀山城 聚楽第
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