合戦
小倉山城
岐阜県美濃市新美濃町
天正年間(1573〜92)
築城者・佐藤秀方
≪上有知城≫
本丸からの櫓
駐車場から石垣と櫓
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天正の末頃、佐藤秀方・方政父子が鉈尾山に居城していたが、方政が慶長5年(1600)の関が原の
合戦で西軍に属して没落、そのあと飛騨高山城主の金森長近が長良川畔に小倉山城を築いた。
金森長近は戦国時代、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康の三英傑に仕え、遂に飛騨の国主大名となり、
高山城を築いた武将で、関が原の戦いの軍功により、この地方武儀郡を加封され、美濃国へ進出すると
ここを本拠地として慶長11年(1606)小倉山城を築いた。しかし、その跡を継いだ孫長光が同16年に
6歳で死んだため、金森家は断絶、城も廃された。現在、城跡は公園になっている。前面の石垣は
築城当時のままで、約400年の風雪に耐えた史跡で、上段は本丸・下段が二の丸・三の丸でした。
私見・登城日2005・07・18 作成日2005・07・31 編集日2006・05・27
郡上八幡城から墨俣城に行く途中、偶然見つけた城。一瞬、犬山城かと思うほど山頂の展望台が
目についた。山麓の駐車場に車を停め、駐車場側の石垣の見事さに見惚れてしまう。
櫓・土塀と復興ではあるが、見応えがある。山頂の天守と思っていた建物は、近くで見ると
とうてい天守とは似ても似つかない展望台であった。が、遠目にはなかなか良く出来ていた。
この展望台は天守跡に建てられているということで、城ファンは川を挟んで見ると犬山城に見える。
駐車場も広く、市民の憩いの広場になっている。
駐車場 無料 100台位 入城料 無料
て・よ