日本城巡り

合戦

加納城


岐阜県岐阜市加納丸の内

文安二年(1445)
築城者・斉藤利長

061

本丸の石垣

本丸跡

徳川家康は、慶長6年(1601)3月娘婿の奥平信昌を十万石で入封し自らの縄張による加納城の

築城を命じた。また亀姫の粧田として二千石を給した。西国への防護拠点としての平城で、築城

を岐阜城の落城の翌年で、岐阜城の館邸を加納に移して築城した。本丸・二の丸・三の丸厩曲輪

・南曲輪(大藪曲輪)などを備え、関ヶ原戦後初の本格的城郭であった。加納城歴代城主は、

奥平氏の後・大久保氏・戸田氏・安藤氏と続き、宝暦6年(1756)永井直陳から三万二千石で入封。

明治2年加納城第十六代城主、永井肥前守尚服が版籍を奉還し、加納藩は明治2年7月14日に

廃藩に至った。

加納城跡は、この本丸のほかは二の丸北側の石垣をわずかに残している。


私見・登城日2003・08・10  作成日2004・06・27  編集日2006・05・27

城の周りを散策中、散歩途中の城地内に住んで居られる『竹本』さんに遭遇。城の説明、発掘調査の

資料を頂き、登城開始。本丸の石垣は現存しているが、石垣の中『本丸跡』は、自衛隊が駐屯していたので、

更地になっている。 竹本さんいわく、石垣があるから、台風の時でも風の影響はまったくうけない。

自衛隊が駐屯していた時は治安がすこぶる良かったが、今は、まったくダメで、留守をする時は鍵を閉めたり、

散歩に出るときでも戸締りにきをつけるようになったと話されていた。

城下町では、昔の地名が残っていて鉄砲町・鍛冶屋町・行商町とかが今に残ると竹本さんに教わる。

本丸跡は公園として市が管理していて、朝6時に門が開けられていた。

駐車場 無料 20台  入城料 無料

て・さ

岐阜城 岩村城
大垣城 郡上八幡城
墨俣城 小倉山城
加納城
inserted by FC2 system