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撫養城
≪岡崎城≫
鳥居記念博物館
徳島県鳴門市撫養町妙見山
天正十三年(1585)
築城者・益田無膳正忠
平山城・標高62m
一名、岡崎城ともいわれるが、板野郡の大郷撫養の庄
のうち、岡崎と林崎にまたがるので、ここではあえて
撫養城と呼称する。通常、この城を紹介する場合、
岡崎城、またの名を撫養城とも林崎城ともいう。
しかし、岡崎城と撫養城は同じ城であっても林崎城は
別のものである。
元亀三年(1572)の≪古城記≫には別々に記されている。
それゆえに、現在では林崎城は撫養城の支城であった
のではないかという説も出されている。
撫養城は足利将軍のゆかりの地で、その当時から城塁が
造られていたらしい。
大永三年(1523)四月九日、十代将軍・足利義稙が、この地
で生涯を終えた。また義栄も、足利義昭を立てて入京した
織田信長に追われ、流浪の末に城のある岡崎の地で客死
したといわれる。
永禄十一年二十日のことであった。さて、天正十年(1582)に
長宗我部元親が阿波へ侵入し、三好方が大敗した。撫養城
も小笠原から長宗我部氏の配下に、真下飛騨守の守備するところとなった。その長宗我部氏の
支配も束の間で、天正十三年(1585)豊臣秀吉による四国征伐よって、軍功のあった
蜂須賀家正が、阿波の新領主として入国した。
私見・登城日2004・08・13 作成日2004・08・29 編集日2006・05・07
この城の駐車場も無料だ。駐車場の東側の石段を上がる。約40段の石段を上がり、左に曲がる
右側が古城の石垣左側は崖でそのまま進むと天守がある。駐車場から10分程で天守に着く。
が、そこは鳥居記念博物館と標示されているので、受付の方に聞きに行く。やはり記念館で、
後に見えている妙見神社の境内に石垣が見えたので、慌てて引き返す。
妙見神社の入口に撫養城の由来が書かれていたので境内の石垣をカメラに収めた。
麓から見ると記念館が撫養城のように見えるが、目印と考えて上って来ても良いかも。
鳥居記念博物館
妙見神社境内の石垣
む や じょう