田丸城
№125
三重県渡会郡玉城町
建武三年(1336)
愛洲太郎左衛門
愛洲三郎左衛門宗実
≪玉丸城≫
平山城
天守台
富士見門『長屋門』
現存
田丸城は天正八年、金奉行玄智が金を盗み、それをまぎらすため?硝蔵に火を放ったため、
火は城内に燃え広がり、天守閣はじめ中心部の大部分を焼失した。信雄は城を修築することなく、
飯高郡細頸《松阪市松ヶ崎町》に松ヶ島城を築いて移ることになった。天正十二年、羽柴秀吉は松ヶ島城
を蒲生氏郷に与え、氏郷の妹婿となっていた田丸直昌は氏郷の与力として再び田丸城に入った。
天正十八年、氏郷は会津黒川城≪若松城≫四十万石に移封、直昌も氏郷に従って
奥州三春城主五万石として移り、田丸城は岩出城主牧村利貞の預かりとなり、利貞の父稲葉重通が
城主代として城を預かった。利貞が文禄元年(1592)朝鮮の役で戦死すると、嗣子牛之助が
幼少であったため、叔父の稲葉蔵人道通【重通の子】が後見人として岩出城に入り、
牛之助が夭死すると、そのまま城主となった。慶長五年(1600)関が原の役で
徳川家康に味方した道通は2万石の加増を受け四万五千石を領し、本城を田丸に移した。
私見・登城日2005・01・10 作成日2005・02・06 編集日2006・05・28
鳥羽城で、思ったほどの収穫が無かったので、あまり期待はしてなかったが、来てビックリ。
城門・高石垣・天守台・内掘と又、広大な城郭を目の前に、ビデオ・カメラを忘れ呆然と立っていた。
我にかえり、カメラのシャッターを連続で押す。フィルムの取替えに手間取り、手が間誤付く。
良く考えれば、城はず~と在るのだから、あわてる事は無い。落ち着け!。落ち着け!。
帰ってから資料の収集が楽しみだ。
駐車場 10台 無料 入城料 無料
て・さ