大河内城
三重県松阪市大河内
応永二十二年(1415)
築城者・北畠満雅
127
北畠満雅が応永二十二年(1415)に築いた城で、弟の顕雅を城主とした。
永禄十二年(1569)北畠具教はこの城に籠もって織田信長と戦った。織田勢は
力攻したが失敗。織田勢は力攻したが失敗。兵糧攻めに転じたため、具教はついに
信長の次男信雄を養子とする条件で和睦した。信雄が田丸城に入ったため廃城。
私見・登城日2005・01・10 作成日2005・03・06 編集日2006・03・19 て・さ
松坂城で、元学芸員の方に教えて頂いた大河内城『おかわちじょう』に向かう。
はっきりした所在は分からないまま、住所を頼りに移動開始。大河内小学校をナビに入力
約1時間で、小学校近くまで来て交番所で聞く。駐在さんの説明では、前の山がそうですが
『17時までだったら、国道沿いに大河内城の説明所で案内をしてもらえたのに』と言っていた。
時計を見ると、5時7分。惜しかった。取り合えず、駐在さんにお礼を言い、城山に向かってダシュ。
城山に向かって猛ダシュ走ること15分、辺りは薄暗く馬場跡近くに車を停め、二の丸・本丸と進み
カメラはフラシュの連続。下山する時には、足元がわからないほど暗くなっていた。
本丸跡
大河内城の由来書