日本城巡り
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松ヶ島城

三重県松ヶ崎町城の腰

天正八年(1580)
城主・織田信雄


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永禄十年(1567)北畠具教が織田信長の来襲にそなえて築いた城で、始めは細首城といった。

しかしほんの小城だったので、たちまち織田の大軍に攻め漬されてしまった。具教が信長の

次男信雄を養子にして和睦すると、信雄はこの城に大改修を加え、五層の天守を築きて

松ヶ島城と改めた。しかし本能寺の変後、北畠信雄は家康と同盟して秀吉と対立し小牧長久手

の合戦が起こる。その折り、松ヶ島城は秀吉に攻略されてしまった。

そして、秀吉と和睦した信雄が清洲に去った後、蒲生秀郷が城主となった。

しかし秀郷は天正十六年(1588)松坂城を築いて移ったために廃城となった。


私見・登城日2005・01・10  作成日2005・01・30  編集日2006・03・19

はっきりした所在地がわからないが、松ヶ崎神社に行けば何かの資料があると思い、神社を目指す。

国道より脇道に入る。しかし道幅が極端に狭く、一方通行かと間違えるほどの道をスピードを落として

進んでいると、前方で車が待っている。慌ててスピードを上げ車をかわし、犬を散歩さしている人に聞く

と、
いきすぎてまっせ〜。車でいけるかなぁと、しきりに考え込む。ちょっと心配ムード

まぁ、この車やったら行けるかも。また、あの狭い道に逆戻り。民家の軒下をサイドミラーをたたみ

たたんだミラーをこすりながら軒下を脱出
。そのあと、農道らしき道を200mほど進むと右側に

小山が見え、左側に温室が続き小山の前で停める。この小山が天守台跡だ。

車を道の真中と言うか道いっぱいに停めていたので、前の温室に仕事に来た方が車の後にバイクを

停めてあとでと言って温室に入っていた。

温室の持ち主さんに聞く

ここは天守台跡で、金箔の瓦・小判・櫛・

紐に通した小銭とか色々出土したが

持ち帰った家は、全部廃れてしまったので

2m掘って元に戻したとの事でした。

その突き当りが掘跡だよっと言って温室へ。

堀跡

天守台跡

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