日本城巡り
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松坂城

三重県松阪市殿町

天正十六年(1588)

築城者・蒲生氏郷


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天正八年(1580)織田信長の次男北畠信雄は、松ヶ島城を築いて居城とした四年後

豊臣秀吉は蒲生氏郷を、近江日野六万石から十二万石でこの地に移封した。

氏郷は、天正十六年(1588)四五百森『よいほのもり』の丘に、規模の大きな城を築いた。

氏郷はこの城を、吉祥の木である松と秀吉の居城大坂城から一字を頂いて、松坂城と命名した。

城の北側を流れる坂内川と南側を流れる愛宕川を外堀とし、城下の道を曲折させて攻撃に備えた。

城郭は本丸・二の丸・三の丸からなり、その外側を約ん二十町に及内掘で囲んだ。本丸には三層の

天守を建て、近くに二層の敵見櫓と金の間櫓を設けたほか、太鼓櫓・月見櫓・遠見櫓も配した。

城下町には、松ヶ島住民を移して楽市の制をしいたので商人が集まり、同業者を一箇所に集めて

油屋町・魚町・大工町などができた。とくに故郷の日野から呼んだ近江商人が中心となって、

商都松坂が形づくられた。


私見・登城日2005・01・10  作成日2005・02・06  編集日2006・03・19

本日最終の城になるかもしれないと思い、夕食をしてからの登城とした。松阪と言えば、牛肉

牛肉と言えば、ステーキかすき焼き。今日はステーキに決定。和田金の信号を路地に入り

次の筋を左折すると、そのおいしいステーキ屋さんがあります。お店の中は地下もあったが

上の一番奥の席が空いてたため、店内を観察したが刀・鉄砲・甲冑・お金と昔懐かしいものが

沢山のものが陳列されていた。それを見るだけでも値打ちがあったと思う。

さて、松坂城の中に本居宣長記念館があったので、
入場料、二人で600円を払い入って見るが、

やはり本居氏の事ばかりで、氏郷の事は無かった。受付で氏郷の事はわかりませんか


尋ねると、60歳過ぎの男性から事細かく説明をしていただいた。あとで聞くと、元学芸員であった

らしい。石垣は、これまでに3回積み直しました。最終が平成9年で、大阪の木村建設が10年

がかりで終えたそうです。その他いろいろと松坂城に関しての事を教わりました。


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て・さ

松坂城碑

木村建設が積み直した本丸の石垣

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