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茨木市の城巡り

西国街道

白井河原の合戦場

安威城

安威砦

泉原城

太田城

太田城

築城年・治承四年(1180)
築城者・太田太郎頼基

泉原城

築城年・室町時代前半(1336)
築城者・泉原左近将監行親

安威砦

築城年・大永年間(1521〜)
築城者・伊丹但馬守

安威城

築城年・永正1年(1504)
築城者・安威孫四郎

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国道171号線を高槻より茨木に車を走らす。三島丘交差点の次の
信号西河原交差点を右折する。右に東芝大阪工場(2008年3月閉鎖)が
見えてくる。左(フジ医療器)と住宅地(太田1丁目)の間の道を左折して
200mほど進むと、右側にビニール張りの温室が見えてくる

その前に、案内板・城碑があり、その後に顕彰碑がある。
辺りは新興住宅地だが、一歩路地裏を入れば城下町の漂う太田1丁目を
散策すれば400年まえにタイムスリップできるような雰囲気を持った町だ。

茨木市・清渓小学校が泉原城跡と聞き、ナビに打ち込む。
太田城から約12km。山越えをして泉原城を目指す
途中、佐保公民館があったが、この近くに佐保城があるかも?

だが、本日は予定をしていないので、泉原城を目指す。
JA茨木市・清渓を過ぎ、次の信号を左折して登り坂をグイグイ上る
300m程進むと、左側に清渓小学校が見えてくる
校門の右角に案内板と城碑が確認できる。

写真を撮り終え、辺りを散策していると、小学校の前の高台に
お住いの方から、『前の畑が曲輪跡じゃ》と教えて頂き
慌てて坂を駆け上り、シャッターを連打する!!
どうも城郭のど真中に、道路を通したようである。

泉原城から安威砦を目指す。どうも佐保城の事が気になるが
安威砦に車を進める。山手台を通り府道46号線に乗り、橋を二つ渡る
橋を渡って、250m程進むと右折する。突き当りを左折して進む事400m
右に急勾配の一直線の坂道がある。この坂道をタイヤをスリップさせながら
登って行く。登って右カーブをした突き当りに案内板と城碑が見えた!。

本日は、工事中のため入口が開いていた。私の車が邪魔になるから
中に入れて下さいと、工事現場の責任者の方から言われ(嬉しい)
早速、タンクの側の工事者専用の駐車場に停めれました(笑い)
ここからの展望は素晴らしく、しばらく眺めていた。(良かった!)

安威砦の坂道を滑るように下りてきて、突き当りを右折する。
次の三叉路を左折すると、そこは400年前の城下町そのものだ。
車を脇に停め、少し歩いてみると現代とは思えない風情のある光景だ!。
蔵・お地蔵さん・道標・灯篭などと建物はお城造りと、その光景に
足が前に進まず、しばらくその場に立ち止まっていた。素晴らしい!!

我にかえり、安威城の城碑を求めて、1軒のお家に立ち寄った。
そのお家にお住まいの方に案内板の場所を教えていただきました。
安威小学校の校門に入る通路を過ぎ、50m程進むと左に公民館がある
その公民館の前に案内板と城碑がある。まえの案内板は根元が腐り
二代目は外枠を鉄パイプでつくり、案内板はそのまま使っているらしい。

茨木市太田1丁目4

茨木市大字泉原857

白井河原の合戦場

茨木市安威3丁目

茨木市安威2丁目

茨木市耳原3丁目

安威城から南に進み、西国街道でこの白井河原の合戦場に来た。
1ヶ月まえにも来ているが、川の写真を撮り忘れていたので再訪。
合戦の時は、この川が血で真っ赤になったとおっしゃっていた事を思い出す

この橋が出来るまでは、舟で渡しをしていたとも、おっしゃっていた

西国街道

茨木市耳原2丁目附近

これまで何度となく通っている西国街道だが、一方通行になっているので
通行が楽である。この先の法華寺附近が耳原城があったところらしい。
何度通行しても、情緒がありますねぇ〜。

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