日本城巡り

筒井城

小泉城
高取城
筒井順慶城
大和郡山城

奈良県大和郡山市筒井町

永享二年(1430)
築城者・筒井順永


城郭の構造は、順慶公五代の祖順永公時代、永享二年(1430)

しかし、近代的居館は父順昭・順慶公の時とされる。

多聞城から運び込まれたという石材などは、郡山城に持ち出され

今は何も残っていない。筒井順慶は1585年八月十一日に郡山城

で病死。胃潰瘍ないしは胃ガンと推定される。この年の二月頃、

順慶は大坂の屋敷に滞在中、激しい腹痛で倒れた。しかし、

激痛に苦しみながら、四月には伊勢松ヶ島城を攻略。六月には

美濃に出陣と多忙をきわめる働きぶりで、十分に治療する暇が

無かった。しかも、松ヶ島城攻略で順慶の軍は大きな痛手を

こうむっていたと言う。竹ヶ鼻城の攻略に成功した後、七月に入ると

順慶の病状は深刻さを増した。病体をおして京都の名医、曲直瀬道三

の治療を受けたが、好転の兆しは見られなかった。居城のある郡山に

戻り、枕元に一族郎党を集めて後事を託した翌日病没した。

筒井順慶城址

順慶木像


私見・登城日2002・11・04 作成日2002・11・23 編集日2006・04・22

大和郡山城から筒井城を探してきたが、わからず。筒井橋付近で尋ねると

詳しい人が居るからと紹介された。この方が、筒井順慶顕彰会の荻野会長さんで、

今日は2時間位の時間が空いているから、案内してあげると言われ、『筒井城・順慶提・光専寺・内掘・

外堀・本門寺』と案内していただいた。光専寺で住職さんにお願いして、筒井順慶公木像を拝観さして頂き

本門寺でも住職さんにお願いして小堀遠州作、枯山水庭園を拝観さしていただきました。順慶公木像が

昭和47年に地元民が2000万円で買い戻した。また、本門寺の庭の灯篭が7000万円の価値があるとも

言っていた。その後、一緒に食事をして、次の目的地小泉城に向かう。

筒井城の内掘跡

て・さ

inserted by FC2 system