日本城巡り

高取城

小泉城
高取城
筒井順慶城
大和郡山城

奈良県高市郡高取町大字高取

《芙蓉城》

南北朝時代・天正十二年・十七年
越智氏・筒井順慶・本多氏・植村氏

071

高取城碑

壷坂門跡

山城・標高584m

高取城は、南北朝時代に始まったというのが定説である。

かっての高取城は、大和盆地の南部に勢力を占めた越智氏の

一支城にすぎなかった。当時の高取城は、貝吹山城・越智城を

構えていた越智氏の詰城的役割を帯びていた。だが、のち越智氏

の勢いが衰えるにつれて、いつしか峻険をもって聞こえた高取城が

本城のように重視された。

天文元年(1532)七月のことだが、奈良に端を発した一向一揆は、

社寺の破壊に猛威をふるった。このとき奈良を追われた興福寺の

大衆『僧兵』は、越智氏のよる高取城に逃れてきた。

これを追ってきた一揆衆は、歯をむき襲いかかったが、天嶮の要害を

頼みの高取衆と僧兵は頑強に抵抗した。それでも

一揆衆は、執拗山麓の谷を埋め、険しい山肌を

這い登って城方と激戦を交わした。だが、駆けつけた

筒井軍の援軍に背後を襲われ、敗走した。

堅城を誇った高取城であったが、天正八年(1580)

織田信長の一国一城主義により、城は筒井順慶の

手で破却された。


私見・登城日2003・09・28  作成日2003・10・17  編集日2006・04・22

西国三十三箇所で壷坂寺に来た時にナビに高取城が写しだされた。参拝をすませ、高取城に向かって

車を進める。城はハイキングコースとなっているので、登山姿の団体さんが多い。

すまない気持ちで追い抜いていき車の進めるところまで行く。このときは小さな車が有利で、この先通行止め

と書いた看板があり、前を走っていた大きな車はUターンが出来ない。その後で一回のハンドル返しでUターン完了。

喜んでいいのか、寂しい気持ちもあったが、道端に車を置き、登城開始。

ハイキングコースになっているので、足元はしっかりしている。坂道は、枕木が置かれ、急勾配のところは、橋が架け

られ、標高600mちかい山城とは思えないほど、気楽に上って行けた。所要時間は車を降りて30分程度で行けた。

城郭では見事な高石垣が迎えてくれる。各城門跡の石の大きさ、また、虎口の大胆さなどを見ていると、当時の

城兵の気持ちが伝わってきてゾクゾクとする。でもすごい
 もう一度登城して見たい城の1である。

て・よ

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