二人で城巡り

田中城の本丸櫓

駿府城の堀に浮かぶ焼津八丁櫓船

山中城の障子堀

小田原城の天守

石垣山城の本丸から小田原城下を見下る

石垣山城

 神奈川県小田原市早川

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石垣山は、もと笠懸山、松山などと呼ばれていたが、天正十八年(1590年)豊臣秀吉が
小田原北条氏の本拠小田原城を水陸十五万一説には二十二万または二十六万の大群を
率いて包囲した時、その本営として総石垣の城を築いたので石垣山とよばれるようになった。
石垣の城は関東ではこの城が最初に作られたものになる。

私見

車で登城口の前の駐車場まで上れる。登城口から崩れた石垣群を見て、唖然!。
石垣の石の大きさに圧倒されながら、広大な二の丸から大井戸曲輪の源水部に進む。
源水部(深さ26m)から周りの石垣を見上げると、現在でも難工事と思う程の大井戸曲輪だ

小田原城

神奈川県小田原市城内6-1

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現在の天守閣は、昭和三十五年(1960)五月に、市制二十周年の記念事業として
復興したもので、宝永時代の再建時に作成された引き図(設計図)や模型を参考に、
鉄筋コンクリートで外観復元したものです。内部は、古文書、絵図、武具、刀剣などの
歴史資料の展示室となっています。高さ約70mの最上階からは相模湾が一望でき
良く晴れた日には房総半島まで見ることができます。

山中城

富士山

三河の住人さんと

静岡県三島市山中新田

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この山中城は、関東の雄、後北条氏がその本拠小田原城防衛のために築いた
箱根十城の一つです。後北条氏三代氏康が永禄年間に築いたのが始まりとされますが
天正十七年(1589)豊臣秀吉との関係が次第に険悪になると四代氏政は南方台地に
岱崎出丸を急ぎ増築し、防備を固めました。

駿府城

静岡県静岡市葵区城内

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駿府城は、時代は変わるが同じ位置に3回築かれている。
今川氏の居城(館)の駿府城は、永禄11年に武田信玄の駿河侵攻と、
天正十年の徳川家康の侵攻により灰燼と帰す。 

六間川を挟んで、徳之一色城跡にある「田中城下屋敷」には、田中城本の丸二階櫓や
米倉等の現存する建物が移築されている。 また、すぐ近くにある旭伝院に城門
城内屋敷の門が移築され現存している。

田中城

静岡県藤枝市本町2丁目8番43号

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今から500年ほど前、今川氏の命令を受けた地域の有力者・一色氏が
屋敷を拡張して城としたのが始まりと伝えられます。
その後、駿河を領地として武田氏により三之曲輪までが整備され、江戸時代初めに
円形の城が増設れて直径約600mの丸い城が完成しました。 パンフレットより

本丸櫓

私見

目から見た感じは、模擬櫓と見ていた。が、模擬で、無かった!。
櫓内に入り、衝撃をうける。二階に上がる階段にまたもや驚く。現存であることに驚いた。
だが、櫓台の石垣がも少し工夫をしていただくと櫓が引き立つのだが?。もったいない!
!。

私見

二度目の登城となったが、障子堀を初めて見ることができた。
また、広大な城郭にただただ驚き、写真で見る畝掘・障子堀には迫力が無いが
自分の目で見て、そのスケールの大きさに驚く。

総走行距離967km

平成十九年(2007)十月七日

人間

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