日本城巡り

合戦

小田原城

≪小早川館≫

神奈川県小田原市城内

   鎌倉時代
築城者・小早川遠平

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治承四年(1180)源頼朝が伊豆に拳兵以来、戦功の

あった土肥実平の一族、小早川遠平が小峰山に居館を

構えた。現在の小田原城の少し北で、これが小田原城

の前身といわれる。応永二十三年(1416)の時上杉禅秀

の乱が起こり、これに味方した土肥一族は失脚し、小田原

には上杉憲方の家臣、大森頼顕が入り、その子頼春のとき

城郭を整備した。明応四年(1495)伊豆韮山に勢力を得た

伊勢新九郎、のちの北条早雲は奇策を用い小田原に攻め

入ると大森氏から小田原城を奪い、ここを本拠としてその

勢力を関東に伸ばした。

北条氏は早雲・氏綱・氏康・氏政・氏直と五代に五代に

わたって関東に君臨し、その石高は二百五十万石。

多くの家臣、被官の大名を有し、その支城は百余りという。

北条氏の小田原城はその当時としては、というより日本と

しては珍しく、城郭都市的な構想をもって城下町全体を防備する構築物を構えていた、したがって、上杉謙信

・武田信玄などの攻撃に対しても十分な反撃態勢にあり、容易に侵入を許さなかった。しかし北条氏は日本を

ほぼ納めた豊臣秀吉に対して臣従しなかったために、天正十八年(1590)、秀吉二十万の大軍で小田原城と

その居城を包囲、あるいは攻撃され、小田原籠城戦は百日におよび、遂に開城した。小田原討伐ののち関東に

封ぜられた徳川家康は、はじめ居城を小田原・鎌倉を拳げたが、江戸と定めた。

     

私見・登城日2003・11・23  作成日2004・05・03  編集日2006・05・07

朝8時に着き、駐車場で仮眠を取る。しばらくして、小田原城の城郭の周りを散策。天守近くに来て

唖然とした。動物園が天守の側にある。
へぇ〜!。 テレビ・新聞・本と見ていたが、動物園は

知らなかった
。象が居て、熊が居る。笑ったらいけないのかもしれないが、笑ってしまった。

というよりもあきれてしまったとでも言うか、城と動物園はあわないように思えた。

天守内で係員の方に30分程お話を聞かしていただきました。次に来れる時は石垣山城に行きたい

入城料400円

小田原城 0465-23-1373

て・よ

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