九州の二人の旅・一日目

中津城

柳川城

佐賀城

守山城

沖田畷古戦場

島原城

九商フェリー

熊本城

山陽自動車道

九州自動車道

人吉城

八代城

九州の山々

2月5日の夜10時過ぎ、九州に向けて自宅を出発。
名神自動車道~中国道~山陽道と順調に進み、
岡山付近でトラック軍団の間をすり抜けて快調に進む

走行2687km
最高気温 17度
最低気温  1度

九州に入ると、濃い霧でスピードダウン!。
夜が明ければ、そこが目的地

霧の人吉インターで、夜が明けてしまった。
九州の城巡り第1番は、人吉城です。
霧の人吉城、神秘的な城である。yori さんが紹介されていた城で
一度訪れたいと思っていた城についに登城できました\(^o^)/ 。

人吉城から熊本城に移動中、検索すると、八代城が
早速登録して、八代城にハンドルを切る。
想像していた以上に広大な城郭に時間が気になる。
霧は少し残っているが、堀・石垣が見事な城跡でした。

八代城から熊本城に移動中、霧が晴れ快晴の城巡りになりそうだ!。
しかし、時間が気になる。フェリーの出港時間は11時10分。
アクセル全開
~~ε=ε=(((((((( っ・`ω・)っ!!  

9時20分、やっと熊本城に到着。
ゆっくり見て、フェリーを遅らすか、30分で切り上げて
次の島原城に移動するかで息子と相談した結果、
フエリーを一便遅らせる事で納得し!。熊本城を隅々まで散策できました。
3時間に1便のフェリーには、頭を抱え込みました
(๑→‿ฺ←๑) 

2時10分の時間まで周辺を散策、フェリーターミナルに入り乗船券売り場に行くと、
同じ航路に2社があった。30分早く出航する方を選び
レストランにいくと、出航時間に間に合わないとの事!。
弁当を買い込み、車内で待機。この30分はおおきいなぁ、と二人で喜ぶ。
港を出ると、カモメの大群がフエリーにまとわり付く。餌をウルトラCでうけとめていた。
んっ!。30分あとに出た、フェリーが追い越して行った!(゚o゚;)/ 高速艇フェリーだった(/ω・\)

浜辺に建つ島原城の展望はすごい!。
島原城に着いたのが3時過ぎ、予定よりかなり遅れている。
天守の端に駐車場があり、すぐに天守に上がれるのは助かる!。
唐津城方面は明日にして、佐賀城・柳川城・中津城を今日の予定に入れる
ヽ(゚ロ゚;)キェーッ! 

島津救援隊は三千の少数であったが、島津忠長、新納忠元、伊集院忠棟、
山田有信ら島津家中の精鋭が加わっていた。中でも新納(にいろ)は鬼武蔵と
恐れられ、山田有信は耳川の合戦の折僅か500の手勢で高城に篭り、大友の
大軍攻撃を持ち堪えた武将である。島津軍は八代より海路日野江城へ入った。
そして決戦の場所を「沖田畷」と決定した。(沖田畷は、島原市北門町付近にあって、
島原城址の北1,3km R251沿いの一帯、この辺りはこん日でも無数の小河川が
海へ向かって流入しているように、当時は葦原の繁る牟田(無田・湿地)であったという。
                                    現地案内板より

守山城は、在地領主守山氏の居城であった。守山氏は日之江城主有馬の譜代家臣であった。
 戦国時代には、守山宮内が城主で千々石淡路・山田監物らと共に活躍した。

佐賀城に行く途中、案内板を発見!城郭は神社になっていて
かなり掘削されているが堀跡・土塁は確認できた
写真を沢山撮ったので、アップできます。

時間的に追い詰められている!。夕方の6時を過ぎ陽が暮れだした。
城門が閉まるのが、6時半!。堀・石垣もしっかりのこっている。
復興の建物も健在し、思っていた以上の収穫に大満足
(^・Θ・^)

城郭は明治5年1月18日の火災で櫓一基、土蔵、厩、3城門を残して焼失。
かつての城跡は柳川高等学校と柳城中学校のキャンパスとなり、遺構は天守台、
石垣、堀が柳川城跡として残っている。天守台跡は柳城中学校の運動場の一角にあり、
その勾配が運動部員のトレーニング場として役立っている。
陽も暮れ、城碑と由来書を確認!。
明日は名護屋城・唐津城・福岡城・黒崎城が残ってしまった。
と、なると今日中に中津城を何とかしないと。しかし、夜の8時前になってしまっている!。

ついに中津城に着いた!。夜中の11時過ぎである!。
真っ暗闇での撮影開始。ん~何とかなるかな?。
ホテルに12時過ぎますの連絡を入れ、今日の予定終了です。
明日も、早起きだぁ~~

順次アップしていきま~す゚〆(・・_,`ゞ)゚。  

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