佐賀城

鯱の門

天守台

西側石垣

佐賀城・城門碑

鯱の門の中の大砲

本丸御殿

築城者:鍋島直茂
築城年:慶長年間(1596~1615)
所在地:佐賀県佐賀市城内

 №290

《亀甲城》

元亀元年(1570)には、六万余りの大友軍を龍造寺の家臣鍋島直茂が
夜襲で撃退し、肥前・筑前・筑後・肥後・豊前を支配する大大名にのしあがる。
この時期、龍造寺隆信は、村中城(佐嘉城)、水ヶ江城を本拠としていた。

天正十二年(1584)、隆信は島津・有馬連合軍との戦いである
『沖田畷の合戦』で敗死、隆信の嫡子政家を鍋島直茂が補佐することになる。
直茂は、やがて豊臣秀吉に取り立てられ龍造寺家臣団を統率し、
龍造寺家での実権を握る。

当初、直茂は蓮池城を本拠とし、天守をもつ本格的城郭を築き上げた。
しかし、慶長十二年(1607)龍造寺政家・高房父子が相次いで死去すると
直茂は、龍造寺家の後を継いで村中城へと入城し拡張工事に着手
ここに佐賀城が誕生することになる。
                           よみがえる日本の城より

登城日:平成二十一年二月六日 作成日:平成二十一年三月七日

本丸御殿

平成十六年に復元された本丸御殿。正面中央出部が御玄関で
藩主や幕府の使者などの特別な要人専用の入り口。
左側が御料理間。式台後方にわずかに鬼瓦が見えているのが
御殿中心の外御書院となる。

鯱の門

天保六年(1835)の二の丸大火災後に建立された。
佐賀城で現存する唯一の門の遺構として、続櫓とともに
重要文化財に指定されている。
門の屋根両端の青銅製の
鯱にちなんで、鯱の門と呼ばれている

天守台

天守台は、高さ六メートルで初重平面十五間  十三間と巨大である。
ここに高さ二十一間の五重天守が建っていた。
記録が残されていないため、外観意匠は判然としないが、
規模は国内有数である。

夕方の六時過ぎにようやく佐賀城に着いた。
7~80台は入れる無料の駐車場が登城者を待っていてくれる
駐車場から鯱の門が見えている。が、天守台側より本丸に入ると
本丸御殿が目のまえに飛び込んでくる!。
天守台に上がり、広大な城郭を眺めたが、この石垣の上に40数mの
天守最上段からの眺めは、絶景だろうな~。

西側の石垣は、城郭内からは緩やかなスロープになっているが
外からは、石垣が直立になっているので攻めるのは難しいでしょうね。

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