日本城巡り

三原城

≪浮城≫

広島県三原市館町

天文〜永禄年間
小早川隆景


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広島城
福山城
三原城

三原城は毛利元就の三男小早川隆景が築城した。

隆景は天文十三年(1544)竹原小早川を相続し、

地位で沼田本郷の総領家をも継ぎ、両家を合わせ、

安芸国東南部を領有する大勢力となり、本郷高山城

を本拠とした。

天文二十一年(1552)には沼田川をはさんだ対岸に

新高山城を築き、ここを本拠に毛利と協力して活躍

している。

小早川氏は早くから瀬戸内海に発展し、芸予の海賊衆

を支配し、制海権をにぎっているが、海岸の水軍城として

沼田川河口の三原を築き、新高山城を移して、軍港を

兼ねた城郭となし、本拠としている。

三原城は山が海に迫り平野にとぼしい地であったが、城は

海中の島を利用して構築され、堀には海水が入り、城は

海に向かって船入りを備えた水軍城である。本丸は城の北側に設けたが天守は建てられず、三方に隅櫓と、

これをつなぐ多聞に囲まれた天守台が存在し、その前面海に向かって二の丸・三の丸の曲輪が扇状に

ひろがっていた。小早川隆景は豊臣政権下では四国・九州に領国を与えられ転封するが、あくまで三原城

を本拠として、文禄四年(1595)隠居後は、ここに住んでいる。


私見・登城日2005・04・10  作成日2005・05・05  編集日2006・05・06

国道2号線で三原市内に入って、三原城の表示板を発見。すかさずハンドルを右に切る。堀を発見

でも、天守台が見つからない
。右に左にと城郭を求めて探すうち、三原駅前に出てしまった。派出所が

あったので聞いてみると、『
城跡は駅の北側で、駅構内からしか入れません。車は駅の有料駐車場の前の

道路に停めて下さい。駅は入場券は要りません
』と、わけのわからない事を口走るお巡りさんにお礼を言って

有料駐車場を横目で見つつ、駅に向かってスタコラと小走りに走る。
路上駐車をしているが、いいのかなぁ〜

駅に入ると左が三原城、右が駅のホーム。三原城と書いてあるドアーを開けると、そこは天守台であった。

天守台から堀を見下ろすと20mはあると思う高石垣でその向かいの堀端に満開の桜の木が立っていた。

桜の季節に来れてよかった〜。天守台の真ん中に『春日局ゆかりの城』と書かれた碑があった。

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