日本城巡り

福山城

≪久松城≫

昭和41年

外観復元

142

広島県福山市丸の内

元和八年(1622)
築城者・水野勝成


広島城
福山城
三原城

元和五年(1619)十万石で神辺城に入封した水野勝成が、

城が山間にあり交通も不便な事から、その南八キロあまり

のところ、街道筋の常興寺山を城地として選び築城工事を

はじめた。元和六年に着工、元和八年に完成した。

城は正確には敵追山『鉄覆山』朱雀院久松城と名付け、

城下を福山といったというのが通称、福山城または久松城

と呼ばれた。

水野氏は勝成ののち五代で断絶し、元禄十三年(1700)

松平忠雅が十万石で、次いで宝永七年(1710)阿部正邦が

十万石で入封すると以後世襲して明治に至った。

水野勝成

福山城を造った水野勝成は歴戦の勇将として知られたが、父忠重は徳川家康の生母、伝通院の弟である。

したがって勝成は家康にとって母方の従兄弟という近親であった。勝成は永禄七年(1564)三河国刈屋城

に生まれたが、長じて家康に仕え、高天神・甲斐・小牧長久手の戦いなどに戦功があったが、父の忠重と

不和になり、諸国流浪ののち豊臣秀吉に仕えた。慶長三年(1598)家康の計らいで父の許に帰った。

慶長五年父の遺領を継ぎ、関が原の戦い・大阪の陣でも戦功があった。


私見・登城日2005・04・10  作成日2005・05・05  編集日2006・05・06

桜の季節で、何処を見ても桜が満開。途中、笠岡城にも寄りたかったが時間が無いので、次回にした。

福山城は、駅の北側に位置し朝早くから花見客が駅ロータリ周辺で待ち合わせのため路上駐車をしている。

城郭を一周して駐車場に車を停め、シャッターを切り続ける。

伏見城から移築した白壁三層の伏見櫓が華麗な桃山時代城郭建築の姿を伝えている。

また伏見櫓の東となりにある筋鉄御門も伏見城城内の一つを移したもので本丸入口の正門として使われた

櫓門である。
いかん時間が過ぎている。慌てて車に戻り、アクセルを踏む。

入城料200円

福山地方観光案内所 0849-22-2869

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