南北朝時代の貞和五年、正平四年(1349)に赤松氏一族の別所敦範によって築城された。
赤松氏の居城であった白旗城の北の守りとしての役割を成していた。
嘉吉元年(1441)に起こった嘉吉の乱によって赤松氏と共に別所氏も一旦は滅亡した。
その後、文正元年(1466年)別所氏後裔の別所治定が城を奪回した。
戦国時代に入り織田信長家臣の羽柴秀吉が中国攻めに進攻すると時の城主別所定道は羽柴氏に
恭順の意を示した。病弱な兄に代わり城主となった林治は本家筋にあたる三木城主別所長治が
織田氏に反旗を翻すとこれに従った。このため、 天正六年(1578年)織田方に属していた
上月城主尼子勝久と家臣の山中幸盛に攻められ落城した。
同年、上月城が毛利氏に攻められ落城すると、利神城は毛利方に属していた宇喜多直家の
所有となった。宇喜多氏はその後、羽柴氏に従ったため慶長五年(1600年)の関ヶ原の
戦いまで宇喜多氏の所有であった。宇喜多氏は西軍主力であったため改易となった。
利神城
築城者:別所敦範 貞和五年(1349)
所在地:兵庫県佐用郡佐用町平福
№468
登城日:平成二十三年(2011)八月七日 作成日平成二十三年八月二十一日
『平福道の駅』で店員さんに利神城の情報をお聞きすると、山頂は危険なので
山に登らないように。と言うことでしたが、目のまえに利神城が観えているので様子を
窺いに登城道まで来た。が、まだ危険はなさそうなので橋を渡り左折し、線路沿いを進む。
しばらく進むと、線路をくぐるトンネルがあり、危険のためご遠慮ください。の
カンバンがあった。鹿避けの扉が開けっ放しになっていましたが、閉めて下さいと
書かれていましたので、閉めて気がつくと、私が利神城山の方に入っていました (*'-'*)エヘヘ
見える範囲では、危なく無いと判断し、城山に近づく(*´ェ`*)キャァ
ワクワクしながら坂道を登り、道が狭くなってきたので、再訪を決意し下山しました!
線路下のトンネルの扉は、シッカリ閉め、確認し帰りましたが、再訪の文字が頭を‥‥
平福陣屋門に隣接する道の駅『ひらふく』からの遠望
道の駅『ひらふく』からズームで撮る
城山中腹の利神城跡の文字に(**ェ`*)ポッ
大手道
線路の下のトンネルと注意書き
まだまだ行けそうです
もう少し行けそうですがこの地点で引き返す
《雲突城》
《平福城》
標高373m