長水城

築城者:赤松則佑 文和年間(1352~56)
所在地:兵庫県宍粟市山崎町宇野字五十波

長水城は文和年間(1352~56)に播磨守護職の赤松則佑が長水山の山頂に城を築き、
これを広瀬師頼に守らせたのが始まりと伝えられている。 その後、赤松家の守護代として
播磨西8郡の支配者となった宇野氏が、この要害堅固な城を一族の本城とし、整備していった。
宇野氏は、その最盛期には揖保郡・宍粟郡・美方郡のうち10万石余を領有した。
天正5年(1577)織田信長の命で、毛利攻めに羽柴秀吉が播磨に入ると、宇野氏など
播磨諸将は織田氏に従い、年末には
上月城が落ちた。

翌6年4月18日、織田方として上月城の守備に入っていた尼子勝久・山中鹿之助が毛利氏の
大軍に囲まれると、5月に秀吉は救援しようとしたが叶わず、信長の命を受けて6月24日に
上月城を見捨てた。これを見て、7月5日、宇野氏は上月に出陣して毛利氏に加勢する立場を示した。
ところが、翌7年、宇喜多直家が秀吉につくと播磨は一気に織田氏有利となり、天正8年正月に
三木城
が落城した後の閏3月、宇野氏は小早川隆景に援助を求めたが播磨衆はあてに出来ないと
見捨てられた。

                                            日本城郭大系より

登城日:平成二十五年(2013)六月四日  作成日:平成二十五年六月十三日

鳥取城巡りの途中、国道29号線で軍師が長水城の案内板を発見!!  急ブレーキを掛け、バックをする。
梯川に掛かる橋左の案内板を確認し、梯川沿いに500mほど進むと、左に長水城の案内板を左折する。
道なりに進んで行くと、突き当たりになり登城道の案内板がありました。

少し広くなっているところに、一台の車が停まっていましたので、並べて駐車して登城開始!!
史料が無いまま坂道を登ること、約一時間二の丸の石積みが観え、民家(住職さんのお家)、本丸の石積み!
本丸にあがる崩れた石段のうえに鉄製の階段が設置していました。本丸から階段を下りてくる途中、奥様が
史料をもってきてくださり、長水城の歴史を教えてくださいました。
登城してわかりましたが、道路に停めていた車は住職さんの奥様の車でした。

№527

≪山城≫

標高585m

比高450m

1 1kmの文字に(@д@) 

2 右にまいるみちの道しるべが観えてきます

3 小石がゴロゴロと歩きにくいです

4 落ち葉の坂道は滑ります

5 光が射しこんできました!山頂は真近 \(*^o^*)/

6 二の丸の石積み

7 本丸の石段と石積み

8 標高585m (^0_0^)ブイブイ

9 信徳寺本堂

10 長水城主宇野下總守の霊之塔

11 この眺望は1時間の坂道を忘れさせてくれます

12 こんな大きな蜂がたくさん飛んでいました゚(/□\*)

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