小浜城

築城者:京極高次 慶長六年(1601)
所在地:福井県小浜市城内1丁目

№332

天守台からの眺めは最高です

天正四年(1576)織田信長は丹羽長秀に若狭十万石を統治させ、後瀬山へ入り
反対勢力の一掃につとめたが、関ヶ原後には京極高次の居城となり、高次は港と
しての小浜繁晶を期するため、海辺に臨む城を建てることを決意。

慶長六年(1601)雲浜の海浜地に築城した。高次は河川を城の外堀に利用するため、
小浜平野を東西に流れる北川の河口に縄張をした。また、後瀬山麓の津田あたりから
流れる南川の、河身の方向を変えて北川につなぎ、南の外濠とした。

東の外堀と、北の外堀は、北川の支流江古川を拡幅して用いた。西は海の利用で四周を
水で囲んだ。工事は延々六年を費やし、同十二年に一応完成となるが、海に面した城の
工事は難航した。

城の構えは中央に本丸を築き、その周囲に内堀をめぐらした。外側の南口は二の丸。
東口には三の丸、北口には北の丸、西側に西の丸。それらを外堀が囲む形である。

慶長十四年(1609)に高次が没し、子の忠高が継いで城の修築を始め、城下町の整備
領内各地の道路も改修した。天守は忠高のとき着工したが、基礎工事なかばの寛永十一年
(1634)松江城二十三万石へと転出。そのあと武蔵の川越城から酒井忠勝が十一万三千石
で入封。同十三年に幕府の許可をうけ天守造営続行。翌十四年に三層の天守が完成した。

小浜城の縄張図

歴史を感じる門が城郭内にありました

天守台から本丸を眺める

石垣の周り道路は一方通行でも無いようです

本丸の周りは今でも石垣で囲っています

登城日 平成二十一年(2009)七月十九日 作成日 平成二十三年(2011)二月十二日

二年ぶりに小浜城に来たが、石垣ギリギリまで民家が建っているのは少し残念ですね。
駐車場が無いので、通りがかりの方にお聞きすると、空いている所に停めたら良いねん!

で、車の方向をみたら自分の都合の良い方向かな?気になりましたので早々に戻ってきました。

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