日本城巡り

合戦

川越城

≪初雁城≫

埼玉県川越市郭町

長禄元年(1457)
築城者・太田道真
     太田道灌

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川越城は、関東管領の扇谷上杉持朝が関東を支配す

拠点として、長禄元年(1457)太田道真・太田道灌に築城

させた平城である。城域は現在の初雁公園から川越高校

へかけての一帯にわたっていたものと思われ、今でも少し

注意すれば土塁や堀の跡を見出す事が出来、県指定史跡

となっている。この城は、上杉氏が六代八十一年間、次いで

北条氏四代五十四年間の居城となり、戦国争乱の拠点と

なったが、徳川家康関東入国後は、譜代・親藩大名の居城

となった。城域は、近世になってからも遂次拡大されたが、

寛永十五年(1635)松平伊豆守信綱が領主となってからは、

急速に城郭が増築され、江戸防備の要として役割を果たす

城となった。江戸時代における城主は、酒井・堀田・松平・

柳沢・秋元・松平の諸侯で太田氏の築城以来四百二十余年

を経た明治四年(1871)ついに廃城となり、建物の大部分は

解体撤去された。現在ある建物は、嘉永元年(1848)、時の城主・松平大和守斉典が造営したもので、

大唐破風造りの玄関・大広間、そして櫛形塀のみを残すだけであるが、川越藩が十七万石を有した時

の建物の主要部分で、県内唯一の城郭建築の遺構として重要なものである。


私見・登城日2003・03・22  作成日2003・04・17  編集日2006・05・07   て・よ
私見・登城日2006・05・04  作成日2006・05・07  編集日2006・05・07
  . て・よ・し

川越城は、前回2003年3月22日に来た時は周辺の道路が工事中のところが多く移動が大変だった。

今回は朝早く外観のみの撮影・散策という軽い気持ちで望んだ。前回と違うのは周辺の道路が広く

走りやすくなっていた。今回の写真撮影は、御殿の正面からの撮影をした。又菓子屋通りも散策し

時の鐘の下まで車で行けた。少し遅くなると人通りが多くなり車では行けない場所なのでよかった。

一通りの撮影を終わり、今回は、川越城だけで帰路に着く。
 往路6時間・復路11時間 東名自動車道使用

無料駐車場完備 50台

走行キロ 12058km

登城日 平成二十年(2008)一月十九日 作成日平成二十年一月十九日

今回は、富士見櫓を重点的に散策した。

川越城の本丸御殿

川越城の富士見櫓跡

2003年3月22日登城

2006年5月4日登城時

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