さいたま城巡り・一人旅

9月23日、深夜の1時30分に自宅を出発。
大山崎より名神自動車道に入る。順調に進み、東名高速に切り替わる。
5時30分、静岡県に入り、富士山を期待する。が、本日はくもりのため残念

首都高が渋滞のため、東京インターより一般道に下りる。
環八を通り、国道17号線に入る。
さいたまに7時15分に着!。しばし休憩をとる。

土屋陣屋

思ってもいない出来事に驚愕した!
大奥様に案内して頂き、敷地内の隅々まで拝見できました。
こんなに遺構が残っているなんて。また手入れの行届いている
陣屋内は、目を見張る事の連続でした。
現在でも、お殿様・御屋型さまの言葉が、大奥様が使われていました。

寿能城址

埼玉県さいたま市大宮区寿能町2丁目

永禄3年(1560)小田原北条氏に頑強に抵抗を続ける岩槻城主、太田資正は北条方の
手に落ちた河越城に対抗する為に大宮付近に寿能城、伊達城を築城します。
寿能城には四男、潮田出羽守資忠(潮田は母方の姓)に大宮・浦和・木崎・領家の領地を与え
城主とします。(伊達城には太田家家老の伊達与兵衛房実を入れた)さらに南には、
中丸城、松野城をも築城し北条方の侵攻に対して防備を固めていたようです。

私見

寿能城址の碑の横にある交番所で、寿能城址位置を聞くため、交番の駐車場に一時停める。
寿能城址の近くのサッカー場で試合があるため有料駐車場は満車状態との事。
引き続き駐車をお願いして、駆け足で城跡に向かう。交番から約100mで左に案内板あり。
公園の奥に潮田資忠墓碑があり周りは新興住宅になってしまっている。

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岩槻城

埼玉県さいたま市西区土屋

埼玉県さいたま市岩槻区太田3-4

岩槻城は室町時代の長禄元年(1457)扇谷(おうぎがやつ)
上杉持豊が室町幕府に反旗を翻した古河公方(足利成氏)に
備えるため、重臣の太田道灌とその父道真に築かせた城で、
太田道灌の養子太田資家が初代城主となった。

私見

今回は、土塁沿いに歩いて御池手前で帰ってしまった。
次回は資料を集め納得のいく攻略をしたいと思う。

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