土屋陣屋

今回、お世話になった大奥様

長屋門

両方に控え塀がある

昔の門番の方の部屋

籠とわらじ

離れ

米倉

会議場

敷地内で一番古い門

搦手になる敷地内の墓所

今回の城巡りで一番訪れたいと思っていた土屋陣屋を訪れて鳥肌がたつ。
内掘内が3000坪、外堀内が6200坪。内堀は今も保存され、手入れがなされている。
県道57号線を拡張するときに、陣屋の前がカーブになっているので広く削られ
県道沿の土塁が削られたが、今も少しの土塁跡が残り、当時の面影を見る事ができる。
長屋門の腰板の左右色が違うのは、近くの学生が通学途中に腰板にボールを当て
毎日遊ぶので、腰板が割れてしまい、左側を新しくしたとか。

その時に壁を新しく塗り替えた。その金額が600万円と聞き、保存のする難しさが分かる。

だが、その事に対してとやかく言わないのだからスゴイですねぇ。

花が好きで至るところに草花を植え、今日は大奥様自らも手入れをされていた。
日本古来からある草花を大事にされ芝生の間から生えてきても芽を摘まない
またそれが可笑しくなく、調和されているのだから不思議といえば不思議ですね。

日曜祭日は、お手伝いさんたちは休みなので、ゆっくりしていってくださいねっと話し出され
控え塀を備えた長屋門は珍しいと、大奥様が話なされていました。
松・楠の木も、樹齢400年・500年となる樹木がたくさんあり、
戦国時代から受け継がれた由緒ある構えを護っていく意気込みを温和な話し方の中に感じとるのは、
隙が無いだけでは無さそうだ。
大奥様は、左端に見えるススキがお気に入りの様子でした。

今回、お世話になりました大奥様で、旦那様が画家。13年前に他界
息子さん(長男)は、敷地内で病院を開業。
次男さんは、敷地内横の県道57号線沿いで歯科医院を開業。
貴重な時間を割いて敷地内の隅々まで案内して頂きました。

お嬢様は、私『管理人』と同じ歳の慶長351年生まれで、お嬢様の紹介で
今回大奥様にお会いでき、案内していただく事ができました。
本日来客があるにも拘らず、沢山の建物・遺構を見せていただきありがとうございました
大奥様は、湘南生まれの、音大卒。現在も音楽活動をされているようです

物知りの大奥様に2時間40分もの時間を割いて案内して頂き
最後にお願いして顔をわからないようにと念をおされ,お帽子を深くかぶられた
貴重な1枚のお写真を撮らせて頂きました
長屋門から大奥様の後に見えている母屋までが十七間あるとも、おっしゃっていました

敷地内から見て、左になる長屋門の部屋で交代で門番をしていたらしい。
今は、物置になっているが、三〜四人で門番をしていたとの事でした
今で言ったら、詰め所ですかね?

門の左端の天井に保存されている籠は、
江戸時代最後の主が伊勢に地元民を連れ、
お参りに行かれた籠とわらじだそうです。
他に二籠が保存されていました。

今風に言ったら、迎賓館でしょうか。
こちらの建物も手入れが行届き、拝見していても
凄いですね』しか言葉が出てきませんでした。

この倉がスゴイですねぇ!
建て方が川越の蔵に似ているので、お聞きしましと、
この倉は、米を貯蔵していて、その米は川越に持って行った
と大奥様に教えていただきました。

敷地内で一棟だけ萱葺き屋根が残っている建物は
米を川越にだすときに、役人がこの建物で計算したそうです。
長屋門を入って、左斜めに進んで行くとこの建物があります
癒されますねぇ。大奥様が心配されているのが息子さん二人が
この建物に興味を示さない事で、保存していくのが心配とか?。

2009年4月にご親戚の永田さんにお聞きしました
長男さんの息子さんが、保存の意思を示されているそうです。

敷地内で一番古い門です。が、少し改造せていますとの事。
上部が重く、倒れる心配がでてきたので飾り物をすべて外し、軽くした
飾りが取り外され、少しさっぱりしていますが昔の雰囲気を
良く残し、見応えがある門です。
門の名前をお聞いしていましたが、思い出せません!。
連絡を取らせていただき、解り次第書き込みます。


お聞きしました  門の名前は 薬医門でした

垣根の奥に先祖代々の墓があり、昔は敷地内に埋葬して、
移封になると、墓石だけ持って行ったと説明していただきました。

右の土手のところから、内堀になっている。

他に158枚の写真を保有しています

所在地:埼玉県さいたま市西区土屋

登城日 平成十九年(2007)九月二十三日  作成平成十九年(2007)九月二十四日  全走行キロ数 1357Km

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登城日平成二十年(2008)一月十四日 長屋門の全景

再編集:2010年10月15日

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