今 城

所在地:大阪府高槻市新町郡家

№541

墳丘の荒廃が著しいことは、一時は織田信長が三好家を攻めた永禄十一年(1568)の摂津侵攻に際し
築いた城砦として使われたためと理解されていたが、発掘調査の結果、慶長元年(1596)の伏見大地震に
よって墳丘が崩壊したものとの見方が強まっている。同古墳は宮内庁から陵墓及び参考地に指定されて
いないため、一般人が見学可能であるとともに、墳丘は近隣住人の散歩道になっている。

                                                             高槻市のHPより

登城日:平成二十六年(2014)二月一日  作成日:平成二十六年二月十五日

前方部から左側の外濠

外濠を渡り、堤の階段を上がれば、内濠が観えます

外堤に今城塚古墳の石碑が建っています

内濠の左奥後円部付近で、サッカーをしていました

内濠の周りを発掘品のレプリカを並べています

前方後円墳

レプリカですが、すごい品数ですね

ぽかぽか陽気の土曜日に、近くの今城を訪れました。子供と一緒に、お父さんが楽しそうに過していましたね。
今城塚古墳は、継体天皇陵である可能性が高いことから気になっていましたが、織田信長が古墳を砦として使った
当時の様子を感じられるようでした。

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