柳生の里・室生寺を歩く

奈良県の柳生の里を目指し、家内が運転して私は助手席でカメラを担当する。
今日の予定は、柳生の里で柳生街道を歩きたいと思い
助手席でコースの距離と周辺の見所を探し出す。

国道168号線で奈良県に向かう。奈良市内を敬遠し、生駒市から周りこむ。
久し振りの助手席からの眺めは良いもんである。
ナビに柳生の里を登録。私は現地に着くまで景色を見て楽しんでいれば良いのだ。
車に揺られてウトウトとしているうちに、柳生の里に着く。
柳生の里の地図版が立っていたので見ていると近くに小山田主鈴の屋敷が
現存すると書かれていたので、早速近くの駐車場に車を預けて歩いて行く。

柳生の家老屋敷

柳生藩(1万石)の家老、小山田主鈴。主鈴は、文政九年(1826)国家老として江戸から奈良に移り
柳生藩南部屋敷を預かって藩財政の立て直しに成功、弘化四年(1846)家督を譲って退隠、
さきに藩公柳生但馬守俊章から賜っていたこの地に新邸を営んで余生を送った。
それがこの屋敷で、弘化四年(1847)八月に着工、翌嘉永元年(1848)六月に上棟したのである。


主鈴は、安政三年(1856)七十五歳をもって世を去ったが、その子孫は明治四年(1871)の廃藩後も
ここにとどまり、旧藩主柳生俊益(俊郎)も三度この屋敷に立ち寄っている。
昭和を迎えて米蔵その他の付属施設が撤去されたりしているが、主屋はほぼ創建当時の姿をとどめ、
奈良県下ではほとんど唯一の武家屋敷の遺構である。

柳生街道

奈良市内から能登川に沿って春日山に分け入り、石切峠を越えて忍辱山から
柳生に至る道を俗に柳生街道という。
もとは、(滝坂道)と呼ばれた道で、奈良・平安時代には奈良から
笠置を結ぶ修験者の道としてすでにあった。
江戸時代には奈良町と柳生陣屋をつなぐ重要な街道になり、
その後は生活道路として長く利用された。

剣豪の里

南出の集落あたりには柳生宗矩の側室となった村娘『お藤』の逸話が残るおふじ井戸があり、
近くに慎ましやかな古寺、南明寺がある。寺をあとに、山道に入って小さな峠を越え、道端や脇道に
疱瘡地蔵や六体地蔵・寝仏などの石仏が点在する道をしばらく歩いていくと、柳生の里が見えてくる。
見事な石垣をめぐらした屋敷は旧柳生藩家老屋敷。家老小山田主鈴の屋敷である。

私見

柳生街道から屋敷の坂を駆け上がると、長屋門に突き当たる。小山田主鈴の屋敷だ。
長屋門をくぐり、主屋に入る。左に納屋があり、そこには江戸時代末期に
使った輿(こし)が主が来るのを今も静かに待っているように思えた。
庭園沿いの回り廊下に腰を下ろし、枯山水に目をやると、
そこは、小山田主鈴の世界に入り込める!。
心が癒され、自分を見つめ快い空間がそこに存在してた。

ただひたすらに家路を急ぐ!

柳生近くの国道369号線

家老屋敷の長屋門

主屋の回り廊下

柳生街道から家老屋敷が見える

柳の森近くの柳生街道

広大な敷地を高台から見る

テッセンが見頃だった

金堂をを右手に五重塔を見る

入場料・¥350円

通行手形 平成十九年六月三日発行

柳生街道を歩いてみて、じつに心地よい街道と思える。
柳生から春日大社に向け歩いていると、地元の方は必ず『こんにちは』『暑いですね』
などと声を掛けてくれる。
私は幼い頃の時代を思い出すような、良き日本の習慣が今もこの柳生には
脈々と受け継がれているように思えた。
柳生中学校が過ぎ、しばらく歩いていると、国道369号線と合流する。
その国道369号線を車を停めている
駐車場に向け歩いてみたが、戦国時代の空間に現実が入り込んだ違和感を感じ、
早々に引き上げてしまった。

花の郷 滝谷  花しょうぶ園

(弘法大師1150年の道) 昔、伊賀の国の人々は女人高野室生寺に月の21日にお大師さんに
参りのために名張街道、三本松から花の郷・滝谷の横を通り、砥取を抜け、山道を歩き、
それはそれは人の列が連なって歩いていたそうです。
三本松長瀬に小室生寺(御堂)があり、そこより石の道標がおかれ、1丁ずつ室生寺までしめされています。
花の郷滝谷で11丁であり、むかしより、屋店が開かれていたそうです。
1150年前よりおいしい湧き水がでていて、昔の人は道中喉を潤し、茶店で茶・甘酒を飲み、室生寺へと
足を運んだそうです。そして今、その1150年前の道がよみがえりつつあります
                         花の郷 滝谷しょうぶ園のパンフレットより

感想

柳生の里から室生寺に向かう途中、道の駅{宇陀路 室生)があり、遅めの昼食を取るために寄る。
道の駅側の信号を右折するとテッセン祭りの看板に引かれ食事後標識に引かれるようにやって来た。
駐車場には大型観光バスが停まり、スゴイ人で駐車場は人・人・人で溢れていた!。
上段の駐車場に車を停め、入口に向かう。
受付附近に浜茄子の花が咲き乱れ、花の国に来たようである。園内に入ると、しょうぶ・水蓮・
あじさいと見て周り、一番奥にあるテッセン園に行くと、そこには今まで見たことも無いような
テッセンの花が咲き乱れている定番の紫にピンク、中には黒というはじめて見る花があった。
八重も綺麗ですが、可憐な一重の小さなテッセンがここでは綺麗に見えるのはどうしてだろう?。

入園料 ¥800円
駐車場 無 料

室生寺

奥深い山と渓谷に囲まれた室生に地は、太古の火山活動によって形成された室生火山帯の
中心部で、こうした幽邃な場所は古くから神々の座ます聖地と仰がれていた。
やがて奈良時代の末期、この聖なる地に皇太子山部親王(後の桓武天皇)の、ご病気平癒の念願が
興福寺の高僧賢憬など五人の高徳な僧によって行なわれ、これに卓効があったことから、
勅命により国家のために創建されたのが室生寺である。
だが、建立の実務に当たったのは、賢憬の高弟修円であった。修円は最澄や空海と並んで当時の
仏教界を指導する高名な学僧であった。以来室生寺では、山林修行の道場として、また法相・真言・
天台など、各宗兼学の寺院として独特の仏教文化を形成するとともに、平安前期を中心とした数多くの
優れた仏教美術を継承する一方、清冽な渓流は竜神の信柳を生み、雨乞いの祈願も度々行なわれて来た。
そのほか厳しく女人を禁制してきた高野山に対して、女人の済度をもはかる真言道場として女性の参詣を
許した事から『女人高野』と親しまれている。

有料駐車場 ¥500円   
室生寺入場料¥500円

参拝日 平成十九年六月三日

これまで数度参拝しているが、花の季節が過ぎ、ゆっくりと境内を散策できた。
今回はじめて気がついた『北畠親房』のお墓が目を引く。 
三基並んでいたが、あと二基のお墓が誰のかがわからなかった。
金堂のお堂内を見てみると、いつの時代か分からないが、ここにも興(こし)が天井より吊り下げられていた。
昔の人は、今よりも小柄だったそうだが、よくこんな小さな興に何時間も揺られて大変だったと思う。
金堂を過ぎ、目の前に五重塔が迫ってくる。何年か前の台風で古木が直撃したが、その重さにも耐えた
昔の宮大工の職人の腕を見せつけられたように思う。五重塔を右手に石段を上がって行くと奥の院に進む。

台所に興が置かれていた

散策日 平成十九年(2007)六月三日大和路を尋ねて
作成日 平成十九年(2007)六月九日〜十日

周辺の駐車場は¥400〜¥700円

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