日本城巡り

柳生街道

春日大社 〜 柳生 四里(約16km)


奈良市北東部に位置する柳生は、柳生新陰流の剣法で知られる

柳生一族の故郷である。

柳生氏の先祖は、十二世紀半ばから春日大社の社領の管理者と

なって柳生の地に土着し、元弘年間(1331〜33)に地名をとって

柳生姓を名乗るようになり、後醍醐天皇の南朝方の一員として活躍。

時代が下り、上泉秀綱があみ出した新陰流を受け継いだ

柳生石船斎宗厳は、子の宗矩とともに鍛練に励み、文禄三年(1594)

徳川家康に新陰流『無刀取り』を披露した。

腕を見込まれた宗矩は家康に仕え、のちに二代将軍秀忠と三代将軍

家光の兵法指南をつとめるまでになったのである。

柳生家が領有した柳生の地へは、春日大社の裏から旧柳生街道が

結ばれている。往時のまま残された約十六qの細い山道である。

この柳生街道のうち、春日大社裏から石切峠の手前に至る川沿いの

上り坂は『滝坂道』と呼ばれる。

小さな石を丹念に敷き詰めた石畳の道である。

石切峠は、かっては石切り場で、切り出した石材は滝坂道を通って

奈良に運ばれた。石畳は、江戸時代中期に奈良奉行の命により敷かれた

といわれている。人里離れた山奥にあり、川沿いの谷間の道なので

滝水がかかってぬかるまないように石畳を敷く必要があったのだろう。

この滝坂道の道沿いには、入口にある寝仏をはじめ、多数の石仏が

残されている。

滝坂道の終わりには首切り地蔵がある。これは新陰流の使い手だった

剣豪・荒木又衛門が試し斬りに用いたという伝えが残されている。

柳生街道は信仰の道でもあったのだ。

作成日 平成十八年七月二十六日
編集日 平成十九年六月三日

2007年6月3日 左手に家老屋敷が見える

柳生街道終着の柳の森附近の街道

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