上原城

上原城は、長野県茅野市諏訪盆地のほぼ中心近く東辺にこの上原城はある。
上原城は信濃の名族、諏訪氏の本城であった。天文十一年(1542)の武田信玄侵入により、
諏訪領は武田氏のものになり、上原城には大改修が加えられた。

城は平地からの比高約200メートルの山頂部の“山城”と、その麓の『館』からなる典型的な
『根小屋式山城』といえる。武田氏は信濃方面で軍事行動を行うとき、この上原城下に軍団の
集結を行ない、行動の起点としている。このため、万を越す兵力が城下に長期間在陣できる
設備を持たせていたようで、城下を通過する“甲州街道”を軸に城下町が形成された。
また麓の館(根小屋)は武田家の当主の在陣にふさわしいものであっただろう。
 
甲府の躑躅ヶ崎館は、武田家の政治の中心地であるが、甲信の兵を合わせ持つ武田軍の
軍事的中心地は、軍団の集結地であるこの上原城だった。武田信玄による諏訪領侵攻は
武田帝国のスタートであり、上原城の存在はその象徴であった。しかし天正十年(1582)
織田信長による武田攻め時点に、上原城で指揮を執った武田勝頼は、この城で武田帝国の
崩壊に立ち会うのである。

                        新人物往来社・日本城郭大系より

金比羅神社鳥居前にある上原城址碑

金比羅神社本堂の山手にある物見岩

山麓台地上の上原城諏訪氏館跡

主郭から茅野市の眺望

主郭と案内板

築城者:諏訪信満  文正元年(1466)
所在地:長野県茅野市ちの(字上原)

№266

上原城の登城口

標高978m
比高200m

登城日 2008年09月15日  作成日 2011年03月19日

新府城を15時に出て、帰路の途中『上原城』がナビに映った!  標高978mとなっているが
比高は200mとでた!すかさず上原城にハンドルを切る!  途中諏訪氏館跡で写真を撮り
そのまま山頂に向かって進むと、左側に『上原城』のカンバンを発見!! そのまえに駐車場。

10分程歩くと、目の前が開けてくる。眼下に茅野市が観え金毘羅神社の境内に入っていく。
ここが三郭で、本堂の裏(山手)の二郭に進むと物見岩があり、その上に主郭がありました。
そう大きくない上原城ですが、車で上がれる山城でしたので、高島城を目指して
ゴォー =333 

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