№414

野島八幡宮の西にある丘が、蟇浦城です。
大永年間(1521~1527)に三好元長の家臣、蟇浦藤次常利が築城し城主となりました。
藤次常利は三好元長からも信頼され 頼りにされていました。
ところが、この力のある藤次常利をねたむ近くの城主が居りました。
ある日、藤次常利のところに四国の三好元長からの使いの者がまいり
三好元長に謀叛をくわだてたと、身におぼえの無い事を言ってきたのです!

知行は取り止めになったが、蟇浦城から出ることは謀叛を認めることなので出なかった。
しかし、知行が無ければ家来を養っていけない。が、家来たちが自分達で荒地を耕し、
働きました。そしてある日、家老の島田甚太夫から洲本炬口城主 安宅監物の子次郎三郎が
三好元長に謀叛をくわだてたと耳にする。安宅次郎三郎は三好元長の家臣であり、
安宅八家衆といわれ淡路で勢力を持っている実力者である。炬口城は地の利を考えた
城で三好元長が再三攻めたが、手こずって落ちそうにも無いのである。
   
そこで 汚名返上する時が来たと、藤次常利は三原の浦壁の城主 島田遠江守と相談、
雨の降る夜に攻め込みました。城主の安宅次郎三郎は由良城の安宅冬宗のところに逃げ
のびていきました。三好元長は常利に左文字の短刀と、元長直筆の感状をあたえました。

大永八年四月十一日、領地・知行は元どりにして 三好元長に召しかかえられる。
                  『地元の粟田様にお聞きしました』

蟇浦城

築城者:蟇浦藤次常利 大永年間
所在地:兵庫県淡路市野島蟇浦

大畑観音堂に祭られている蟇浦氏の墓

野島八幡宮の本堂

野島八幡宮に祀られているお堂

山頂から眺めた城郭

屋根が見えているところが本丸

二の丸

搦手に通じる道

搦手に通じる道

搦手に通じる道

帯曲輪がしっかり残っています

登城日:平成22年(2010)8月8日  作成日:平成22年(2010)8月8日 編集日平成22年9月5日 

尾崎城であれだけ蚊に刺された痕が かゆみ止めのおかげで少し楽になりました。
野島八幡宮の無料駐車場に車を停めて、参拝する。のち、蟇浦城とされる城跡に進む
野島バス停の向かいに石垣が組まれています。その坂道を登っていくと右側に民家が
あります。この民家が蟇浦城の居館跡です。写真を撮り、下りてくる途中、地元の方に
声をかけられました。○○さんのちがうんけ! しばらく話をして アッ!
ヽ(゚ロ゚;)キェーッ!

中学の同級生でした。偶然にも歴史が好きで、案内をしてくれるらしい。
さすが地元で城好きだけのことはありました。淡路島の城の史料は、郵送してくれるらしい
喫茶店はなかったので、自販機の缶コーヒを飲みながら昔話に花が咲きました!

ひきのうら

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