後瀬山城

築城者:大永二年(1522)武田元光
所在地:福井県小浜市伏原

№334

後瀬山城は、大永二年(1522)若狭守護武田元光によって築城された山城で、小浜市伏原 (ふしはら)
の西南にある標高168m後瀬山にある。後瀬山にはその後愛宕神社が建られたので、愛宕山とも称された。
山裾には妙興寺・発心寺など中世以来の社寺があり、守護館も置かれていた。

若狭守護武田氏は、若狭・安芸に加え一時は丹後守護も兼ねるなど地理的に京に近接していたこともあり、
幕府と密接な関係を保ち、かなりの勢力を維持したが、永正四年(1507)の丹後侵攻に失敗、同十四年には
重臣逸見氏が反乱を起こすなど、武田元光が家督を継いだこの頃は内外ともに緊迫した状況にあったとされる。
このため従来の防備では対処できず、山裾北側を通る丹後街道を見下ろす要害の地に新城を築城したものとされる。

城主は元光・信豊・義統と続き、その子元明が永禄十一年(1568)朝倉氏によって越前へ拉致されるまで、
守護武田氏の本城として存続した。

その後、慶長五年京極高次が若狭へ入部するに及んで小浜城が築かれ、後瀬山城は廃城となった。
                             日本の名城・古城事典より

登城日 平成21年(2009)7月19日   作成日 平成23年(2011)2月13日

小浜市で気になっていた城ですが、やっと今回登城する事ができました。
大きな規模の城ですので、一部しか散策できませんでしたが、曲輪・土塁・空堀・石垣・堀切などの
遺構を確認できました。なかでも、主郭の周りの石垣を観ていると当時の壮大な城郭を想像できます。
次回は時間を掛け城郭全体を散策したいですね。

主郭にある武田氏城の石碑

三の郭から二の郭への道

本丸の石垣

三の郭

後瀬山城の案内板

後瀬山

中央の碑に今嵐又庄衛門碑と書いてある

主郭西側の堀切

曲輪群

inserted by FC2 system