牛久保城

この地にあった牛久保城は享禄2年(1529)一色城主牧野成勝が、今橋城主(後の吉田城主)の
信成の命を受けて築城したといわれています。扇状台地の端に造られた平城で、南は遠く下郷の
地を一望でき、北には二重の堀を巡らせた城でした。城を取り囲むように武家の屋敷が配置され、
その北に町人の家が通りに面して連なり、さらに周辺に寺院があって外敵に備えていました。

城に向かって真っ直ぐに入る道はなく、すべての道が曲尺手になっていて近世の城下町の先駆けを
なすものだったようです。後に牛久保は天領となり元禄13年(1700)廃城となりました。今は昔の
面影はなく、JR牛久保駅周辺にある「城跡」、「大手」、「城下」などの地名がわずかに昔を
偲ばせています。
                                 現地案内板より

№502

築城者:牧野成勝 享禄二年(1529年)
所在地:愛知県豊川市牛久保町

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登城日 平成二十四年(2012)三月二十四日  作成日 平成二十四年五月二十六日

三河の住人さんの運転する車が飯田線の牛久保駅際の踏切を越え、駐車場に滑り込む。
牛久保城跡に駐車場が無いから、駐車場に少しの時間停めさせてもらうと、住人さんが
教えてくださいました。城跡の入口に案内板があり、中央に城碑が建っていました。

あまり広くない城跡で、現地の古図を観ながら500年まえを目をつぶり想像する。

牛久保城跡周辺の地図

牛久保城跡の案内板

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