大坂城・東
今回、印刷業を営む石田社長にお話をお聞きする事ができました。
テーマは、大阪城の東側に位置するJR環状線の京橋〜森之宮間がなぜ平地を走っているか!。
G…お忙しいところを誠に申し訳ありません
S…後世に伝えていかなければならない事ですので、聞いて覚えている範囲でお答えさせてもらいます。
G…それでは、JR環状線の京橋と森之宮間はなぜ平地を走っているのですか?。
S…年輩の方に聞いた事ですが、それは、戦前はこの地域の大部分が砲兵工廠と呼ばれる日本最大の軍需工場群でした。
その大規模な軍需工場を国民の目からかくすため、線路沿いに刑務所のような高い塀を巡らし
城東線の京橋〜森之宮間を平地に走らせ線路上からはみえないようにしたカラクリですね。と言っていましたよ。
G…現在の車両基地のところですよね?。
S…いやいや、JR環状線をはさみ大坂城ホールのある広大な公園・JR車両基地・公団森之宮団地まで入るらしですよ!。
G…とんでもない広さですね。
S…旧陸軍直営の兵器工場として、あらゆる口径の砲、戦車・弾薬などを製造、中でも大口径砲など重量兵器の
金属工業技術は高く評価されていたそうです。この工場群で六万四千人が働いた!と聞いています。
G…え〜!六万四千人も働いていたのですか!
S…あの大戦の終戦前日、1945年8月14日、米国はB29三百機他の集中爆撃をくわえ、建物の八割を破壊し
四百人近い従業員の命を奪いました。京橋駅に1トン爆弾四発が投下され五〜六百人の乗降客が犠牲になったらしいです。
G…それでは、大阪城の天守閣の最上段に上がれば砲兵工廠を見わたせますね!。
S…最初こそ天守閣も城内の一部も市民に開放されましたが、いくさの深まりとともに市民を大阪城から締め出し
ていったのは当然の成り行きですよ。と言っていました。
G…たしか、昭和六年に市民の募金で天守閣を建てたと聞いていますが?。
S…1931年に大阪城天守閣を復活させるため市民の募金をつのり当時の金額で150万円が集まりました。
いざ、天守閣再建工事にかろうとしましたが、高い天守閣から軍需工場を国民の目にさらすことを嫌った
陸軍は猛反発しました。結局最近まで市立博物館として使用されてきた旧中部軍管区司令部の本部庁舎
の豪華な建物(工費八十万円)を陸軍に寄贈し、折り合いをつけたのだそうです。とも言っていましたね。
G…それでは、市民から集めた150万円の半分以上が本部庁舎に使われたのですか?。
S…そういう事になりますね。市民の善意が無情にふみにじられたというべきでしょう。とその方も怒っていましたね!。
S…石田社長 G…管理人(五郎)
城見1丁目東の交差点周辺の高層マンション
JR環状線の大阪城駅前から京橋方面を見る
大阪城駅前から森之宮駅方面を見る
正光印刷の石田茂郎社長
今回は、忙しく印刷業を経営されている、空襲経験者の石田社長の会社に
図々しくあがり込み、大阪城の東側の事をたずねてみました。
石田社長は、歴史が好きで、とくに地理に関しては、即答でしたね。
忙しくされている手を止め、貴重な時間(2時間)を割いていただいた事を感謝しています。
今後とも宜しくお願いいたします。本日はありがとうございました。
管理人(五郎)
作成日 2008年7月12日
編集日 2008年7月14日