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本能寺

作者 = 頼山陽(1780~1832) 江戸時代後期の儒者。名は襄(のぼる)、字は子成。

山陽の外に三十六峰外史と号した。通称は久太郎。芸州(広島)竹原の人。父は春水といい、安芸藩の儒者。
山陽はその長男で、安永九年大阪の江戸堀に生れ、広島で育った。『日本外史』を前老中、松平定信の命により進献し、盛名一時を圧っした。
その詩は人心を鼓舞するに足るもので、明治維新の志士たちに多大の盛化を及ぼした。天保三年九月二十三日病没、享年五十三歳。

語釈

◎溝  … ほり。溝阬、溝渠、溝郭などの意。 ◎大事 … ここでは、光秀が主君信長を殺し、その権を奪うこと。 
◎茭粽 … 《茭》はほし草、枯れ草の意があるように、食物を包むために笹などの類を煮て乾かしたもの。
     … また菰の類をさす。《粽》はちまき。茭粽はまこもの類の葉でちまきを包んだもの。端午の節句を祝う食べ物。
◎併茭 … ちまきの笹のこと。大事決行を目前に、光秀は沈思苦慮皮を剥くことも忘れ、そのまま食したとつたえられる。
◎四簷 … 《簷》は檐に同じ。家の庇、軒。
◎梅雨 … 梅の実の黄に熟するころ降る長雨。黄梅雨ともいう。一説に、つゆの時分、衣服・食物などにカビが生ずるため
        黴雨と言ったのが、梅雨と書かれるようになったという。

◎如墨 … 綾目も弁えぬほど闇が濃いこと。空に墨を流したように暗いこと。
◎老坂 … 旧山陰道はここを経て京に至った。老坂峠は沓掛から亀岡の篠村を結ぶ峠。光秀は夜陰にまぎれて居城の亀山城を出発し
        六月一日夜半ここに至り、明け方、桂川を渡るに及んで、はじめて部下に胸中を示した。
◎天猶早… 六月二日の暁暗の頃。夜の明けるにはまだ早い時分。
◎吾敵 … 光秀が信長を指して言ったことば。   

◎敵在備中… 備中の国で戦っている秀吉をさす。山陽が光秀を皮肉ったことばとして理解することが最も妥当である。
          つまり、『光秀よ、完全武装の一万の将士をもって、無防備に近い二百ほどの人数の本能寺を攻めるのは
          掌中の玉子を握りつぶすほどのこと。さて、それよりは、備中の秀吉こそ、汝にとって大敵となる必定
          よくよく注意せよ。という意味に考える。
 

大意

明智光秀は天正十年五月、織田信長から高松城攻撃中の秀吉救援の先鋒を命ぜられ、居城丹波亀山に帰る途中
愛宕権現に参拝し、俳人紹巴などと連句の会を催し、『本能寺の溝の深さは何ほどか』とたずねたが、その胸中
大事悲願を成就するのは今夕にあると決意していたのであろう。はやる心の光秀は、ちまきを皮ごと食べてしまった。

おりから、梅雨時の雨は軒の四方を降りとざし、空は墨を流したように暗かった。老の坂から西へ向かって行けば
信長の命令どおりの備中への道である。だが鞭をあげてさし示したのは東の方角、まだ、夜の明けない早朝だった。
この時、『わが敵は本能寺にいる』と叫んだのだが、光秀は、ここで、自分のもう一つの強敵、備中の秀吉に
よく備えなければいけなかったのだ。

参考

光秀が信長に反逆するに至る経緯はいろいろある。まず、信長が波多野秀治を攻めた時、人質となっていた光秀の母が殺されてしまった事。
子の光秀としてみれば、信長に救う手段があったはずと考えるのは、人情として自然のなりゆきである。
次に、信長の不興を買ったとはいえ、公の席で堪えられないほどのさまざまな侮辱を受け、信長の近習、森蘭丸の馬になって
匍匐させられたこと、また、刀の先に貫かれた饅頭を、これも犬のように匍匐して食べさせられたことなどがそれである。

さらに、光秀の気持ちを徹底的にうちのめしたのは、家康接待役の交替であった。それもまったく突然の変更で、すでにご馳走の類も
すべて整えてあとだった。光秀の家人が掘に捨てたご馳走は幾日も臭ったという。こういう原因から、光秀が反逆した事実とその反逆劇の
経過を述べながら、山陽は、最後に光秀を痛烈に皮肉っている。山陽はどんな理由があるにせよ、反逆行為について許せないものがあったのだろう。

なお、この詩も日本楽府体の一つ。第一句が《本能寺 溝幾尺》と三字・三字の句の構成になっている。
琵琶歌などに(溝の深さは幾尺ぞ)とするものがあるが山陽の詩に『深さ』は作られていない。

所在地 京都市中京区元本能寺南町

元本能寺

本能寺

資料提供者・山本義夫様

 ホン ノウ ジ   ミゾ は イク セキ なるぞ
本能寺 溝 幾尺 
 
ワレ ダイ ジ  を   ナ すは  コン セキ に ア り 
吾大事  就  今夕 在  
コウ  ソウ   テ に  アリ   コウをアワ せて  クロ う
茭 粽 手 在 茭 併  食
 シ  エン の  バイ ウ     テンスミ  の  ゴト し     
四簷  梅雨 天墨  如
オイ の サカ   ニシ に    サ れば ビッチュウ の   ミチ  
老 坂 西  去  備中  道
ムチ を    ア げて  ヒガシ を   サ せば  テン ナ お    ハヤ し
鞭  揚  東  指  天猶  早
ワガ テキ は  マサ に  ホン ノウ ジ に  アリ
吾敵  正 本能寺 在
テキ は ビッチュウ に アリ    ナンジ   ヨ く  ソナ えよ
敵 備中 在  汝 能 備

本能寺の本堂

  作成日 平成二十年六月二十九日
  編集日 平成二十年七月二十六日
再編集日 平成二十年八月二日

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