《居館》

№352

山口城から岩国城に向かう途中、大内氏館の案内板に急ハンドルを切る!。
山口城から三つ目の信号を右折して、200mほど走ると左折する道があります。
その路地のような道を進むと、左に龍福寺があり右に龍福寺の
無料駐車場があります。
当日は、大型トラックや重機が沢山停まっていましたので、近くの建設会社の車だと
思っていました。帰って調べると、山口市教育委員会が昭和53年度から館跡の
発掘調査をしていたんですね。

龍福寺の境内は各箇所に案内板を設置してありますので、わかりやすく30分ほどで
次の岩国城に向かいました。.

登城日:慶長四百十三年十一月三日  作成日:平成二十一年十一月七日

大内氏二十四代当主の大内弘世が山口を本拠と定め移り住んだ時に居館として
築かれた。正確な建築時期は不明であるが江戸時代に描かれた「山口古図」に
よると十四世紀半ばの1360年頃とされるが、発掘調査によると1400年代半ば
大内教弘の建築である可能性が高いとされています。

大内氏の繁栄とともに“西の京都”山口として栄えたが、次代の大内義弘の
頃にはもう手狭になったようで、近隣に築山館を築いている。大内氏館も
その領土の拡大とともに最低5回の増築を繰り返されていることが発掘調査に
より確認されています。

大内義隆の時代の天文二十年(1551年)に家臣の陶隆房の謀反により山口は
灰燼に帰した(大寧寺の変)。この時の大内氏館の状況は不明であるが、
大寧寺の変の後、新たな大内氏の当主となった大内義長が大内氏館に入った。

1556年に毛利元就が侵攻してくると、大内義長は山口を放棄して逃亡。
大内氏館もその役目を終えることとなった。そして翌年、同地に毛利隆元が
大内義隆の菩提を弔うために龍福寺を建立している。

築城者:大内弘世?大内教弘?
築城年:14世紀半ば?~15世紀半ば?

所在地:山口県山口市大殿大路

大内氏館

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