岩国城

築城者:吉川広家
築城年:慶長十三年(1608)
所在地:山口県岩国市横山

№353

水堀

元和元年(1615)に『一国一城令』が発せられ、破却される
憂き目となりました。その際、吉川広家は、岩国の城は家康も承知しており
当時の周防には岩国城しか現役の城は無かった為破却するには及ばないと
輝元に訴えました。しかし、萩では、長府の櫛崎城の廃城と釣り合いをとる為
ということで、岩国の城も同様にするようにと頑として承諾しなかったようです。
その為、広家は宗家との不和をおそれてついに、山上の要害を取り壊してしま
いました。

石垣

天守

旧天守台

井戸

錦帯橋

《標高300.4m》

岩国城の現在の天守は本来の位置とは離れた場所に建っており
別の所に旧天守台の跡が存在します。復興天守については鉄筋
コンクリート造、四重六階、外観復元という形で、内部は展示館
となっています。この天守の特徴としては三重目の三階より四階が
四重目も五階より六階が外に張り出している、「南蛮造」という特異な
形態をしている所でしょう。
『南蛮造』は福岡の小倉城があります。

山上から岩国の町並みを一望できますが、ロープウェイでの眺めもお勧め
出来ます。特に蛇行して流れる錦川、それに架かる『錦帯橋』、また遠く
瀬戸内海も眺められます。ため息が出そうな素晴らしい眺めでした。

明治十八年(1885年)居館「土居」跡が吉香公園となり、堀端に絵馬堂で
ある錦雲閣(きんうんかく)が旧藩時代の櫓を模して建造され、現存し
ています。また、藩政時代の建造物として寛政年間(1789年 - 1800年)に
建てられた昌明館(7代当主経倫の隠居所)の長屋が現存しています。

本丸の西下には大釣井と呼ばれる大きな石組みの井戸がありますが
これは武器弾薬庫として機能していたとも、非常時の脱出口であった
ともいわれています。

天守台の石垣は、大きめの石との隙間に詰めた小さな石からなり
隅石(すみいし)には算木(さんぎ)積みの技術が見られます。
その隅石には、反りはなく、ほぼ直線状の稜線に仕上げれれており
見かけの美しさよりも構造力学上の安全性に重点を置いた造りに
なっています。これにより、戦国武将吉川氏の石垣の力強さを
かいま見ることができます。

登城日:平成二十一年(2009)十一月三日   作成日:十一月二十五日

8月13日に錦帯橋までは来ていますが、時間の都合で泣く泣く萩城に移動しました。
今日は、そのリベンジで岩国城にやってきました!。ロープウェイから錦帯橋・瀬戸内海
と眺めは最高です。山頂駅に着き、広い道、細い道とありますが細い道を選び進むと、
いきなり目の前に石垣が迫ってきます!。その石垣に沿い、進んで行くと虎口に入って行き
ますが、この雰囲気は備中松山城によく似ていますね。階段を上がると、右手に天守が見え、
本丸に足を踏み入れリベンジを果たす事ができました。

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