山形城

№430

《霞ヶ城』

築城者:斯波兼頼 延文二年( 延文二年)
所在地:山形県山形市霞城町

城の創築は、南北朝時代、出羽按察使として山形に入部した斯波兼頼が、館として築い
たものという。兼頼はここを拠点に出羽の南朝勢力制圧し、子孫は土着して地名の最上を
称した。義光はその十一代目である。

義光は、生来剛毅の質のうえ、権謀にも長けていた。その特質をもって次々に一族を切り
従え、伊達氏が南方への新攻を志向していたのを奇貨とおして、みずからは着々と北方へ
勢力をひろげ、豊臣秀吉時代には出羽最大の大名ににしあがった。義光が山形城を大構築
したのは、この秀吉時代の文禄から慶長年間にかけてのことである。

慶長五年(1600)の関ヶ原の合戦の際、山形領に進撃してきた上杉方の名将直江兼続が
富神山から指呼の間にあるはずの山形城を望んだところ、霞がかかって所在が知れなかった
ことから名づけられたのだという。

最上義光は直江軍の攻撃を守り抜き、その功によって、一躍、表高五十七万石、実高百万石
といわれる徳川大名となり、最上家の黄金時代を築き上げる。しかし、義光亡きあと八年に
して、最上家はお家騒動を理由に改易され、その歴史を閉じる。

二の丸東大手門の内側

二の丸からの櫓門

二の丸東大手門の外の左側

二の丸東大手門の外の左側

大空に羽ばたく最上義光騎馬像

本丸内工事中でした

本丸の石垣・土塁と堀

石垣で固められた大きな不明門

夕方の空にカラスが!!

空がお堀に!

本丸一文字門

二の丸から観た櫓門付近

本丸の堀

登城日 平成22年(2010)9月13日  作成日 平成22年(2010)11月2日

かるく観て周る予定であった山形城は、壮大な城郭に驚愕!!
無料駐車場に車を停め、本丸に向かう。しかし、壮大な城郭に驚かされました!
最初に二の丸にある最上義光騎馬像の迫力にカメラのシャッターを連打する!

二の丸の櫓門をくぐり東大手門の写真を撮ろうとしたが、通勤路となっているのか
人の切れ間が無い! 何とか数枚の写真を撮り、本丸に向かう。

あちらこちらで、工事をされていますので、完成した頃に もう一度訪れたいですね。

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