和歌山城
和歌山県和歌山市1番町
≪虎伏城≫
復興天守
1958年
平山城
№027
天正十三年(1585)
築城者・羽柴秀長
天正十三年(1585)豊臣秀吉は、根来寺や雑賀党の
強力な鉄砲集団を打ち破って、紀州平定を実現した。
秀吉は、弟秀長の城を築くために和歌山に一ヶ月滞在し
自らの縄張でその年の内に本丸・二の丸の工事を終えた
築城地の吹上ノ峰『虎伏山』からの?望はすばらしく、
秀吉は、万葉のころから歌にも詠まれた景勝地『和歌浦』
の文字をとって、『若山』から『和歌山』と改めた。
慶長五年(1600)浅野幸村が関が原の合戦に功績あって、
三十七万石で和歌山に入った。幸長は入城後すぐ、内掘や
石垣の改修工事に取りかかった。土塁を石垣に積み替え、
粗末に見える緑泥片岩を砂岩を用いた『打込みハギ』や
『布積み』にした。この石垣が現在も残っている。
私見・登城日2002・06・08 作成日2002・06・19 編集日2006・04・22
紀三井寺へ行っての帰り道、市の中心地県庁・JR阪和線和歌山駅の西800mに位地する
和歌山城。岡口門から車での登城。100mほで入ると駐車場がある。木の下は、ハトがフン
を落すので避けた方がよい。昭和33年に復興された天守・小天守・乾櫓・二の門などを
見るのに、最低1時間はかかる。上段の秀吉の時代・山麓の紀州徳川家時代の石垣が
読み取れる。天守内は、紀州徳川家所蔵品が展示されている。