日本城巡り

合戦

江戸城

≪千代田城≫

東京都千代田区

長禄元年(1457)
築城者・太田道灌

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江戸城のはじまりは、古く関東の豪族であった平氏の分流

秩父氏が十二世紀のはじめ頃、南下して荏原郡桜田といわ

れる辺りに居館を構え、江戸氏と称したことによる。

その場所は当時は小丘であった現在の江戸城本丸、

あるいは、西の丸辺りだと推定されている。そののち江戸氏

は、北の喜多見に本拠を移した。長禄元年(1457)になって

関東は鎌倉公方足利持氏とそれに反抗した古川公方足利氏

に別れ争ったが、鎌倉公方に属した扇谷上杉定正の重臣

太田資清とその子資長『道灌』に命じて、古川公方に備える

城として江戸・川越・岩槻などの城を造らせた。道灌が築城

した江戸城は、現在の本丸を中心とする戦闘的な城であった。

江戸城は太田道灌が築城したが、道灌は文明十八年(1486)

主君扇谷上杉定正によって相模糟屋『伊勢原市』の館で

謀殺された。のち北条氏、天正十八年(1590)徳川家康が

二百五十万石で関東に入国、江戸を本拠と定めた。


江戸城天守台

二重橋と伏見櫓

私見・登城日2003・03・21  作成日2004・02・21  編集日2006・05・07

江戸城郭を一周してからの登城。三の丸の前のビルの駐車場に車を預け、二重橋を見に行く。

駐車場の警備員の方が箕面出身と言って、大阪の話をする。それから二重橋と伏見櫓の前で

カメラに収める。二重橋の辺りには警備員の方が多く又説明もしてくれた。天守台は大手門から

でないと行けないらしい。その大手門が4時で閉ざされると聞いて慌てて移動する。

二重橋から桔梗門の前を通り、早足で砂利道を急ぐ。早く言えば
 猛ダッシュ!

大手門から入城札をもらい、本丸入口の百人番所の前を横切り、いくつかの石垣をすり抜けて

天守台まで来たが、この間の石垣は切込ハギで、石自体が大きすぎる。威圧感は十分過ぎる

ほど感じた。本丸の天守台を見て、このバカデカイ天守台に天守が建っている事を想像して見ると

圧倒され、仮にスパイが進入できても、何も出来ないのではないだろうか。

今回は、日本一の城郭に来れたことの喜びで大満足で次の目的地に車を走らせる。

周辺の駐車場は 10分100円が相場のようだ

登城日2010年4月17日 作成日2010年4月19日

4月16日、関東で桜の花に雪が積もっていると、ニュースが放映される。が、城巡りを決行

17日朝1時半に出発。中央自動車道がチェン規制。東名高速で7時に東京着

日本橋の周辺を散策、のち皇居を一周して、大手門近くで駐車場を探すが周辺の工事関係者の
貸切になっていて見つけるまで1時間程かかってしまいました。

雨も小降りになり、大手門から百人番所の前を通り本丸に進む。本丸に入り、天守台が見えた
ときは雨も上がり昨日の雪のニュースがウソのようでした。
天守台の周りに雪が残っていますので、昨日は雪がかなり降ったようですね。

                        周辺の駐車場は 15分200円が相場ですね

天守台の説明板の下に雪

百人番所のうしろにビル群

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