鳥取城

築城者:山名誠通 天文十四年(1545)
所在地:鳥取県鳥取市東町2丁目

№530

天文十四年(1545)因幡守護山名誠通の命を受け重臣武田豊前守が田原某の縄張りで築城したといわれ、
山名氏の居城、布施の天神山城の出城であった。永禄六年(1563)豊前守の子武田高信は鳥取城に拠って
布施の山名豊数に叛旗を翻した。豊前守はあまりに堅固な城を築いたため逆心ありと疑われ、悲噴の死を
遂げていた。高信は山名氏を恨んだ。自ら鳥取城城番を引き受けて機会を待ったのである。

布施勢はこの峻険な山城に手も足も出ず敗走、高信は鹿野城の山名豊成を間者を放って毒殺し、再度攻め
寄せた布施勢を菖蒲釣山城で破る。豊数は鹿野に逃れて病死し、高信は毛利氏と結んで勢力強めるが
毛利氏と結んだことで以来鳥取城は毛利対尼子、毛利対織田の熾烈な闘争の最前線に曝されることになる。

登城日:平成二十五年(2013)六月四日  作成日:平成二十五年六月六日

永年訪れたいと思っていた鳥取の城を本日周ってきましたが、鳥取城の石垣に驚愕しました。
城門をくぐり、眼のまえの壮大な天球丸・二の丸・三の丸を確認しながら楽しんできました。

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