№400

尾高城

築城者:不明 年代 不明
所在地:鳥取県米子市尾高

《泉山城》

《岡成城》

元亀二年(1587)世は戦国時代で、中国地方では毛利と尼子が覇を争い、尼子側の敗色が
濃くなっていました。尼子十勇士の筆頭・山中鹿之助幸盛も捕らわれの身となって、尾高城
の牢に閉じ込められました。敵の様子を探るため、わざと捕らわれたともいわれます。何に
しても大物でしたので警戒も厳重で、大勢の侍が彼を取り囲んでいました。彼は捕らわれて
間なしに『下痢だ』といって便所通いをしだしました。その度に警護の侍も、ぞろぞろと便所
について行きましたが、何しろ一日に百数十回通ったので、最後には気を許して彼一人で行かせ
ました。この時を待っていた彼は、便所からまんまと脱出しました。時に七月二十日・今の暦で
八月十日のことでした。 しかし彼は、三枚のお札を持っていません。また捕らえられ、広島へ
護送途中の天正六年(1571)七月十七日(太陽暦で八月二十日)あわれ高梁(岡山県)の地で
殺されてしまいました。享年三十四歳だったといいます。

登城日 平成22年5月1日  作成日平成22年(2010)5月4日

鳥取県の天の真名井の水車小屋を訪れたとき、近くに尾高城があるのがわかり
寄ってみた。北から二の丸・本の丸・中の丸・中の丸・天神丸が直線上に並び、
それそれの曲輪が空堀によって区切られている。最初に入った中ノ丸で、6~7人の
若者が銃を肩から提げ、サバイバルゲームをやっていた!。危ないので立ち止り、成り
行きを見ていたら一人が気づき、しばらく休憩するようだ。その間に中の丸・本丸を
探索して引き上げました。    
無料駐車場

案内図

本丸

中の丸からの展望

中の丸への階段

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