小松城

小松城は、出雲千家家の南北朝時代の文書に載る山緒ある城である。
その文書によると塩冶高貞の軍忠状に『出雲国造の舎弟貞教の軍勢が
建武三年(1336)六月十九日に伯州の長田城に馳せ向かい、続いて
その月の三十日小松城を攻め、門前で華々しく戦った。

その時、若党の高木又次郎が右足を射られたので、このことを軍奉行
は、ご承知の上、後々の恩賞の証となるよう御判をいただきたい』
とされている。

以後戦国時代に及ぶ二百数十年、小松城は在地の豪族のよりどころとなった。
地元では、小松氏の住む城という説が有力である。城跡には数段の郭・二重の
空堀・土塁の跡がのこり、また出丸・侍屋敷・馬場・弓場などと考えられる
遺構もあって、中世における相当の規模の城郭であったと想像される。
                          現地案内板より

小松城の遠景

国道沿いにあった表示板

城山麓の説明板

城山を過ぎ、振返って見た城山

城山を周りこむように進みます

左の写真に続く登城道

左の写真に続く登城道に木が

築城者:小松氏 建武年間
所在地:鳥取県西伯郡南部町市山

№401

登城日 平成22年(2010)5月2日  作成日 平成22年(2010)11月12日

松江城から鳥取の花回廊に向かう途中偶然見つけた小松城の表示板
その後、表示板が無いまま5~6kmほど進み、やっと見つけた小松城公園の碑と説明板!

説明板を読み、車を進めるが資料を持っていないので迷ってしまい、地元の方に
お聞きすると、説明板の左にみえる山が城山とのこと。
城山を周りこむように登城道があり、登城道の途中木をよこにしていましたので
これ以上、山に入る事はしませんでした。 ちょっと悔しいですね
(。>д<。)

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