館山城

築城者:里見義康 天正十六年(1588)
所在地:千葉県館山市館山351-2

南房に十代百七十年にわたって君臨した里見氏は、六代義堯の代には房総三国五十七万石を
領するほどに雄飛して全盛を誇った。しかし、天文七年(1538)義堯は小弓公方足利義明に
加担して、小田原の北条氏康と国府台で戦って(第一次国府台の戦い)敗れ、七代義弘は
永禄七年(1564)北条氏康、氏政父子と第二次国府台の戦いで再び敗れた。

八代目義頼の時に、本拠は岡本城(富浦町)だったが、北条氏政軍に攻められ、支城の久留里城
や佐貫城などが危うくなった。こうした情勢に備え、九代義康は天正十六年(1588)館山に
築城工事を開始し、天正十八年に完成して移った。館山城完成と同時に、宿敵小田原の北条氏直
が豊臣秀吉の軍門に降ったが、義康は小田原参陣の遅きを責められ、その領地は安房一国九万
二千石とされた。

義康は慶長五年(1600)の関ヶ原の合戦の時、徳川秀忠に従って宇都宮を守った功があり、三万石
の加増を受けた。十代忠義も幕府に重んじられたが、奸臣印藤采女らの専横によって内紛が起こり
そのうえ同十九年、妻の祖父で小田原城主大久保忠隣の罪に連座するなど、徳川氏の外様大名排斤
策の犠牲となり、領地を没収され、伯耆国倉吉三万石に移された。この時、館山城は破却された。

登城日:平成二十四年(2012)一月二十八日  作成日:平成二十四年二月四日

高槻から6時間半、海ほたるから1時間余で館山城の駐車場に着きました。駐車場から模擬天守が望め、気合十分!!
城山に向って上がって行く途中に日の出となり、約15分程で石段になり、石段の途中から天守が観えてきます。

少し時間が早かったので、天守に上がれませんでしたが、本丸からの眺めは最高ででした。
土塁、曲輪と確認し、1時間の散策を楽しみ次の目的城、稲村に向います!!

土塁

浅間神社

解説書

里見城址碑

麓の駐車場から天守が観えました

館山市内を望む

朝日に照らされ昭和五十七年(1982)に再建された模擬天守

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