佐倉城
№490
築城者:土井利勝 慶長16年(1611)
所在地:千葉県佐倉市城内町
戦国時代、下総の豪族千葉氏が、足下に鹿島川を見下ろし北方に印旗沼を望む鹿島台に目をつけ
千葉親胤が築城に着手したが、家臣の造反にあって自殺した。その後邦胤の時、北条氏政の要請で
新城建設を開始したが、邦胤は若年にして死んだために工事は中止された。
邦胤の子重胤が六歳で家督を継ぎ、天正十八年(1590)豊臣秀吉の小田原攻めの時に北条氏に
応じたため、徳川家康の軍勢に攻められて落城し、未完成の城も焼き払われてしまった。
その後、この地は家康が領有し、文禄元年(1592)家康の七男武田信吉が入城、さらに家康の
八男松平忠輝が入り、慶長十五年(1610)下総国小見川一万石から土井利勝が封ぜられた。
日本の名城・古城事典より
登城日:平成二十四年(2012)一月二十九日 作成日:平成二十四年二月十九日
千葉県の城めぐり二日目は、成田の宿から一時間の佐倉城。壮大な城郭に驚愕!! 堀を周り、移築された門をくぐり登城開始。
帯曲輪の霜柱を踏みしめ、本丸に向う。帯曲輪を過ぎ空堀・土塁を確認しながら本丸に入る。冷たい風が吹くが、ものともせず!
台所門・銅櫓・一の門・二の門・天守閣土壇等々。気がつけばお昼前になっていました。約三時間の楽しい佐倉城探訪も終り、
次の目的地、関宿城に向います。
椎木門跡前面の角馬出し空堀
椎木門跡前面の角馬出し空堀の南側面は、雪が残っていました
西出丸入り口に建つ移築城門
角型形状の南出丸
角型形状の南出丸と水堀
移築門と水堀
水堀と土橋
堀田正睦公像
姥が池も凍っていました
突然の突風でつむじ風
台所門付近から観た本丸