稲村城

里見義通が永正十五年(1518)病死し、嗣子竹若丸が幼かったので、義通の弟実堯に
竹若丸が成長するまで、里見家の実権を預けた。だが、竹若丸(のち義豊)が成長しても
実堯は実権を返上しなかったので、義豊は憤激して、天文二年(1533)七月、稲村城に
夜襲をかけ、実堯を討った。

義豊は稲村城に入城して、第五代里見家当主となったが、実堯の子義堯はすぐに復讐戦を
強行、翌年四月、稲村城を落とし、義豊を自刃させ、里見家の実権を再び奪い取った。

築城者:里見氏 文明十八(1486)年頃
所在地:千葉県館山市稲

水往来の案内板から登城開始

土塁に囲まれた登城道を登っていきます

長い切通しの登城道

よ~く観ると、積んでいるところもありました

堀切の案内板に立ち止まる!

切通しの食い違い虎口から尾根上に上がります

竹薮の尾根は、雑木林の尾根になっていきます

整備された帯曲輪

木々を伐採して観やすくしていました

果実園になっている中郭部

果実園に隣接する広場にミツバチの巣箱が置かれていました

いいいよ主郭に入ります

広い主郭の中央に案内板設置されていました

規模が大きい土塁

主郭は高い土塁に囲まれています

横穴墓の案内板に!!

二つの横穴は覗くと、つながっていました

落ち葉で浅くなっていますが、雰囲気は良いですね

あまり高くない主郭からの眺めは、安らぎをあたえてくれました

登城日 平成二十四年(2012)一月二十八日  作成日 平成二十四年二月十二日

№487

館山城から国道128号線で外房に向う途中、助手席から軍師が稲村城を指示! ナビに館山市稲を入れたが番地はわからず!
約25分ほど走ったところで、稲の交差点を右折して踏み切りを渡る。これが正解であった!!

ネットで城山の雰囲気を観て、周囲の山を見渡し貴船神社を右に見て山にあがっていきました。登城道らしき道を登っていったが
何と無くちがう? いったん麓に下り諦めるか、散策を続行か話し合い、諦めで決着!

国道128線に戻るため、ミラーで後方を確認すると、後正面に何かの案内板が観えた。確認するため地近づくと、稲村城

ここからは稲村城の案内板の指示通りに進むと、水往来入口まで来れ、約1時間の楽しい稲村城巡りができました。
稲村城は、もう一度訪れたい城ですねぇ~

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