吉田城

№519

築城者:吉田氏
所在地:滋賀県犬上郡豊郷町吉田

佐々木源氏の一ながれ、佐々木秀義の六男巌秀が、この地に封邑を得て吉田氏を称した。
兄、四郎高綱は、寿永三年(1184)かの宇治川の合戦で、名馬「生唼」(いけづけ)を
駆って先陣を争った武将である。

吉田城は、岩倉川と子増川を自然の外濠として、その水を引いた内濠をめぐらして築城
されたようである。現在はその内濠の大半が埋められて僅かしか残されていないうえ、
城は元亀二年(1571)の宇曽川の戦いで織田信長軍の馬蹄に踏みにじられ焼き討ちにあって
あとかたもなく焼きつくされてしまった。

築城時の史記はおろか、落城の伝承は何一つ残されていない。吉田氏は、子・子孫々この地に
地頭として生きのびたが、巌秀の九世孫の徳春の代に京都嵯峨へ退隠して角倉の家祖となる。
江戸時代の豪商角倉了以は、その子孫である。
                                現地案内板より

登城日:平成二十四年(2012)九月十七日  作成日:平成二十四年十一月十一日

岡村酒蔵さんをナビに入れ、県道220号線を横切り、宇曽川を渡り吉田地区に入る。右に岡村酒造さんの酒蔵、左に
岡村酒造さんの専用駐車場がありました。その駐車場に停めさせていただき、周辺を散策することにしました。

駐車場のまえに、御旅所の石碑があり、左にお堂がありました。酒蔵も歴史を感じる建物で、思わずシャッターを
連写していました。道路を渡り、酒蔵を右に観て70m進むと、左に吉田城址の石碑と説明板がありました。

ご主人にお聞きしましたら、酒蔵のまえのみぞが自分が子供頃は今の倍はあり、これが堀の名残かもと言って
おられました。岡村酒蔵付近を中心に約120m四方の規模であったようです。

酒蔵のまえの吉田城址の石碑

石碑の右に案内板

駐車場のまえに御旅所の石碑

ご主人が、内濠跡と言われる溝

酒蔵の裏に沢山の用具が時を待っていました

もう直ぐ、活用される用具が出番を待っていました

酒蔵の入口

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