瀬田城

築城者:山岡景房 永享元年(1429)
所在地:滋賀県大津市瀬田2丁目13-26

№537

瀬田城は、瀬田唐橋の東南畔に位置し、窪江城と共に瀬田橋と東海・東山道を監視する軍事的要衝の地を
占めていた。この瀬田城は、『寛政重修諸家譜』によれば、瀬田の土豪山岡氏の一族で、田上城主であった
山岡資広が永享年間に初めて築城したとあり、この時の城地が瀬田山岡であったため、一族の姓を山岡と
称したと伝えられている。それから以降、瀬田城は代々山岡氏の居城となった。

天正十年(1582)明智光秀が京都本能寺において主君信長を殺し、安土に向おうとした際に、瀬田城主山岡景隆
を味方に引き入れようとするが、景隆は主君の恩顧を裏切れないという理由で、光秀の行手を妨げるために瀬田橋
を焼き落とした。しかし、その翌年の賤ヶ岳合戦では、柴田勝家に内通したことが発覚して豊臣秀吉により瀬田城
を追われた。景隆は、その後、逃亡先の甲賀郡毛牧村において61歳の生涯をとじている。
                                        日本城郭大系より

瀬田城の案内版

登城日:平成二十五年(2013)九月十七日  作成日:平成二十五年十一月十二日

滋賀県の城巡りで山田城から国道1号線を南下、瀬田川沿いに下って行くと唐橋を過ぎ右に船着場があり、その左に瀬田城の石碑があります。
船着場に車を停め(現在は舟は動いていない)カメラを連写!! この石垣は、マンションを建てるときに積み直した石垣だそうです。

道路の左が瀬田川で船着場から撮影

石垣に土塀、角に櫓を意識して建てたのかも?

左が由来碑、城碑のうしろに案内版

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