大溝城
№449
築城者:織田信澄 天正六年(1578)
所在地:滋賀県高島市高島勝野
この城は織田(津田)信澄が築いたが、縄張は明智光秀の手になった。
ちなみに信澄は、光秀の四女を妻に迎えていた。同十年六月、本能寺の変が起きたとき
大坂城で四国の長宗我部攻めの出陣を待っていたが、変を知った城方の手により、悲惨な
再期をとげた。
その後の大溝城は、丹羽長政、加藤光泰・生駒親正、京極高次らが入封した。元和五年(1619)
伊賀上野から分部光信が二万石で入って大溝藩を立藩。明治維新まで十二代に及んだ。
現在城跡は堀や石垣、武家屋敷の一部が残っている。
日本の名城・古城事典より
登城日:平成23年3月13日公演参加 登城日4月10日 作成日4月23日
3月13日、滋賀県の高島市文化ホールで「大溝城の歴史的変遷を考える」に参加。
続いて4月10日に大溝城に登城しました。高島総合病院の駐車場に停めさせていただき
フェンスを越えれば大溝城の天守台がありました。
天守台に上がり、散策開始。帰ろうと天守台を観れば、団体さんが天守台を占領していました。
高島文化ホールに大溝城の幟
展示されていた大溝城の瓦
展示されていた縄張絵図
天守台の北東
天守台の南
天守台の南西
天守台から観た堀跡
天守台近くの井戸跡
大溝城の天守台は団体さんで占拠されました